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自然とひとつになるとき、言葉はいらない

気分が高まり、心が自由になる瞬間――
かぐわしい草の中を靴を脱いでのんびり歩いていると、
野鳥さえも警戒心を忘れたように、すぐそばで共に時を過ごしてくれる。

また、風景と心がぴたりと重なったときには、
舞い散る花の下で襟を開き、何も考えず、ただ静かに座っているだけでいい。
雲は語りかけてくるわけではないけれど、
その柔らかな流れが、まるでそっと寄り添ってくれているように感じられる。

自然に身を委ね、心を解き放つことで得られるこの静けさは、
人の言葉では到底言い尽くせない、深い癒しをもたらしてくれる。


原文とふりがな付き引用

興(こう)、時(とき)を逐(お)うて来(き)たりて、芳草(ほうそう)の中(なか)、履(くつ)を撤(と)して間行(かんこう)すれば、
野鳥(やちょう)も機(はかりごと)を忘(わす)れて時(とき)に伴(とも)を作(な)す。
景(けい)、心(こころ)と会(かい)して、落花(らっか)の下(もと)、襟(えり)を披(ひら)いて兀坐(ごつざ)すれば、
白雲(はくうん)語(かた)るなく漫(そぞ)ろに相(あい)留(とど)まる。


注釈

  • 興(こう)時を逐うて来たりて:気分が高まり、心のままに時を楽しむさま。
  • 芳草(ほうそう):香り高く瑞々しい草むら。
  • 履を撤して間行す:靴を脱いでのびやかに歩くこと。
  • 野鳥も機を忘れて:鳥が警戒心を解き、自然に共にいるようになる様子。「機」は策略・用心・本能的な警戒。
  • 景と心と会す:風景と自分の心が調和している状態。
  • 襟を披いて兀坐す:襟をゆるめて、無心に静かに座る。「兀坐」は動かず、ただじっとしていること。
  • 白雲語るなく漫ろに相留まる:雲は語らないが、自然にそばにいてくれるように感じるさま。
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