一度、こう問いかけてみる――
「自分がまだこの世に生まれていなかったとき、
いったいどんな顔をしていて、どんな姿をしていたのだろうか」
さらに、こうも考えてみる――
「やがて死んだ後、私はどんな状態になるのだろうか」
こうして過去・未来の“存在しない”自分に思いを馳せると、
現世に渦巻くあらゆる雑念や執着は、
まるで熱の失われた灰のように冷えきってしまい、
そこに残るのはただ一つ、静かで清らかな本来の性(本性)。
そのとき、私たちは自然とこの現象世界(物)を超え、
時間や形の束縛から自由になり、
未だ生ぜざる以前――
いわば“象の先(しょうのさき)”、
永遠の沈黙の中に、身をまかせることができるようになる。
「試(こころ)みに未(いま)だ生(う)まれざるの前(さき)に、何(なに)の象貌(しょうぼう)有(あ)るかを思(おも)い、又(また)既(すで)に死(し)するの後(のち)に、何の景色(けしき)を作(な)すかを思(おも)えば、則(すなわ)ち万念(ばんねん)は灰冷(かいれい)し、一性(いっせい)寂然(じゃくねん)として、自(おの)ずから物外(ぶつがい)に超(こ)え、象先(しょうせん)に遊(あそ)ぶべし。」
この「象先に遊ぶ」という表現は、
老子の言う「帝の先に象たり」――
すなわち、万物の源、存在の原初へと立ち返るという、
壮大な精神の自由を表している。
※注:
- 「未だ生まれざるの前」…禅の語「父母未生以前の本来の面目」に通じる。自我の発生以前の純粋な存在。
- 「象貌」/「景色」…見た目・存在の様相。形あるものへの問いかけ。
- 「万念灰冷(ばんねんかいれい)」…すべての思念が冷えきって、静まり返ること。
- 「一性寂然(いっせいじゃくねん)」…唯一無二の本性が、静かに現れること。
- 「物外に超え」…現象の世界を超越する。
- 「象先(しょうせん)」…老子が述べた「帝の先の象」=存在の根源、未分化の絶対的原理。
1. 原文
試思未生之前、有何象貌。又思既死之後、作何景色。則萬念冷灰、一性寂然、自可超物外、遊象先。
2. 書き下し文
試(こころ)みに未(いま)だ生(しょう)まれざるの前に、何(なん)の象貌(しょうぼう)有(あ)るかを思(おも)い、
又(また)、既(すで)に死(し)するの後に、何(なん)の景色(けいしょく)を作(な)すかを思(おも)えば、
則(すなわ)ち万念(ばんねん)は冷灰(れいかい)し、一性(いっせい)寂然(じゃくねん)として、
自(おの)ずから物外(ぶつがい)に超(こ)え、象先(しょうせん)に遊(あそ)ぶべし。
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳)
- 「試しに、自分がまだ生まれていなかった頃には、どんな姿やかたちがあったかを考えてみよう」
- 「また、すでに死んでしまったあとの世界では、どんな光景があるのかを思い描いてみよう」
- 「そうすれば、心中のすべての思いはまるで灰のように冷たく静まり、一つの本性は静かに鎮まっていく」
- 「そのとき、自然とこの世のすべてを超えた世界へと達し、形が現れる前の源の世界に遊ぶことができる」
4. 用語解説
- 未生之前(みしょうのぜん):生まれる前、存在する以前の状態。絶対的な“無”。
- 象貌(しょうぼう):姿かたち、形象。物質的な存在を意味する。
- 既死之後(きしのご):死んだあとの世界。意識や存在が消滅した後の状態。
- 万念冷灰(ばんねんれいかい):「万念」は心に浮かぶあらゆる想念、「冷灰」は冷えた灰=情熱が尽きた状態。
- 一性寂然(いっせいじゃくねん):「一性」は本来の清らかな心性、「寂然」は静まりかえった様。
- 物外(ぶつがい):俗世の物事を超えたところ。世間や欲望を離れた精神的世界。
- 象先(しょうせん):形が生じる以前の源=“象”の前段階。老子の「象(かたち)を先んずる道」に由来し、「無限の源」「宇宙の本質」とも。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
一度、自分が生まれる前にはどんな姿があったのか、死んだあとの世界はどんなものか、じっくりと思いを馳せてみよう。
そうすれば、今を生きる上で浮かんでくる無数の想いや悩みも、まるで冷えた灰のように静まり、本来の静かな心が戻ってくる。
そのとき、自然とこの世のあらゆるものを超えた境地に至り、形すら生じる前の、宇宙の根源へと心を遊ばせることができるだろう。
6. 解釈と現代的意義
この章句は、「生と死」「有と無」「心と世界」という根本問題をシンプルな思考実験によって突き詰めています。
そしてそこから、「いま悩んでいることは、ほんの一瞬の幻である」という“無常観”を導き出します。
- 生まれる前も、死んだ後も、形も感情も存在しない
- その「無」の視点から現在を見れば、煩悩や欲望が小さなものであると感じられる
- 真の心の静けさ(寂然)は、そうした思考の中で自然と立ち現れる
この思想は、仏教の「観無常」「無我観」や、道家の「帰根復命」「無為の境地」に通じるものです。
7. ビジネスにおける解釈と適用
✅ 目先の悩みに囚われすぎるな──長い視点で俯瞰せよ
売上・人間関係・評価など、日々の問題に執着してしまいがちだが、もっと広い時間軸(生まれる前・死んだ後)で見ることで、冷静さと俯瞰の視点が生まれる。
✅ 心が静まれば、判断は正しくなる
思考が止まり、心が澄むとき、最も正しい判断ができる。浮足立ったままでは、的確な決断は下せない。
✅ 悩みが尽きぬときは、“無”を思え
一切の“なかったこと”を想像することで、今ある煩悩から解放される。これは、メンタルケアやレジリエンスにも有効。
8. ビジネス用の心得タイトル
「無を思えば心は澄む──超越の静けさが見える道を開く」
この章句は、「メンタルマネジメント研修」「無常観に基づくセルフケア法」「静的リーダーシップの育成」などにも応用できます。
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