たとえ狭い部屋で暮らしていたとしても、
心の中の雑念をすべて捨て去ることができれば、
わざわざ豪華な楼閣にあるような――
色あざやかな棟を仰ぎ、雲の流れを追ったり、
きらびやかな玉のすだれ越しに雨をながめたりといった、
ぜいたくな趣を求める必要はなくなる。
たった三杯の酒で、もし天地の理――
人生の真実と静かな喜びを悟ることができたなら、
飾り気のない琴を月明かりの下に置き、
短い笛をそよ風のなかで吹くだけで、
それだけで十分に豊かな楽しみとなる。
「斗室(としつ)の中(なか)、万慮(ばんりょ)都(ことごと)く捐(す)つれば、甚(なん)ぞ画棟(がとう)に雲(くも)を飛(と)ばし、珠簾(しゅれん)を雨(あめ)に捲(ま)くを説(と)かん。三杯(さんばい)の後(のち)、一真(いっしん)自(おの)ずから得(え)れば、唯(ただ)だ素琴(そきん)を月(つき)に横(よこ)たえ、短笛(たんてき)を風(かぜ)に吟(ぎん)ずるを知(し)るのみ。」
本当の楽しみとは、
外側のきらびやかさにあるのではなく、
心の深まりと静けさ、そして自然との調和の中にある。
それを知れば、質素な暮らしこそが、最も豊かな人生へと変わっていく。
※注:
- 「斗室(としつ)」…一斗枡ほどの小さな部屋。狭い空間の象徴。
- 「画棟(がとう)」…彩色を施した豪奢な建物の棟。王勃の詩句を踏まえた表現。
- 「珠簾(しゅれん)」…真珠のすだれ。富貴の象徴。
- 「三杯(さんばい)」…酒三杯の意。李白の詩に由来し、少量の酒によって悟りを得る比喩。
- 「一真(いっしん)」…天地の真理、人生の本質、悟りの境地。
- 「素琴(そきん)」/「短笛(たんてき)」…装飾のない素朴な楽器。心の趣に寄り添う風流。
原文
斗室中、萬慮都捐、說甚晝棟飛雲、珠簾捲雨。
三杯後、一眞自得、唯知素琴橫月、短笛吟風。
書き下し文
斗室の中、万慮(ばんりょ)都(すべ)て捐(す)つれば、何ぞ画棟に雲を飛ばし、珠簾を雨に捲くを説かん。
三杯の後、一真(いっしん)自ずから得れば、ただ素琴を月に横たえ、短笛を風に吟ずるを知るのみ。
現代語訳(逐語/一文ずつ訳)
「小さな部屋の中で、あらゆる思い煩いをすっかり捨て去れば」
→ 狭い空間でも、心を空じて悩みを捨てることができれば、
「宮殿の軒先に雲がたなびくとか、珠の簾に雨が降りかかるとか、そんな贅沢を語る意味はない」
→ 絢爛豪華な生活など、どうでもよくなる。
「三杯の酒を飲んでほろ酔いになれば、一つの真理を自然と得る」
→ 酒によって心がほぐれ、本当の自分・本質にふと出会う。
「そのときには、月の光の下で琴を爪弾き、風に向かって笛を吹く──そんなささやかな趣こそが、すべてであると気づく」
→ 風雅な静けさの中に、真の充足と喜びを見出す境地。
用語解説
- 斗室(としつ):斗は容量の単位で、小さな空間の意。転じて「狭い部屋」。
- 万慮(ばんりょ):あらゆる思い、煩悩、気がかり。
- 都捐(すべてすつ):すっかり投げ捨てること。
- 画棟飛雲(がとうひうん):豪華な建築(彫刻された棟)にたなびく雲。贅沢な景観。
- 珠簾捲雨(しゅれんけんう):珠で飾られた簾に、風雨が吹きつける雅やかな描写。
- 三杯(さんばい):三杯の酒。ほどよい酔い。
- 一真(いっしん):心の奥底にある、唯一無二の真実・本心・本質。
- 素琴(そきん):飾り気のない琴、素朴な楽器。
- 横月(おうげつ):月の下で静かに楽器を構える様子。
- 吟風(ぎんぷう):風に合わせて詩や笛を吟じる風雅な情景。
全体の現代語訳(まとめ)
小さな部屋の中で、あらゆる煩悩を捨て去れば、
どれだけ絢爛な宮殿や景色があったとしても、それを羨む気にはならない。
ほどよく酒に酔って、心がほぐれると、ふと本当の自分に出会える。
そのとき気づくのは、月明かりの下、素朴な琴や笛と共にある静かな時間こそが、真の豊かさであるということだ。
解釈と現代的意義
この章句は、**「簡素の中にこそ真実の満足がある」**という東洋思想の核心を詠んでいます。
- 外的な贅沢(豪華な住まいや財)ではなく、内面の静けさと充足感こそが、人生の至福。
- 心を整え、余計な欲を捨て去ることで、自然や芸術の中に深い真理が見えてくる。
- 酒や音楽は、“心を緩める媒介”として、真実に至るきっかけとなる。
ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)
1. 「本質は豪華さでなく、“心の余白”」
会議室が豪華でも、心が忙しければ何も生まれない。
むしろ、小さな場所でも心に余白があれば、創造性と本質的な思索が生まれる。
2. 「“煩悩を手放す”ことが、最上の選択眼を育てる」
情報過多・選択過多の時代において、心を空にすることで、真に価値あるものが見えてくる。
これは経営判断や戦略の核心とも言える。
3. 「酒や芸術は、“調律”の装置」
適切な遊びやリラックス、自然・音楽・美術との接触は、マインドセットを解きほぐし、“道”に戻すツールとなる。
ビジネス用の心得タイトル
「小室にこそ真が宿る──静けさが豊かさを照らす」
この章句は、「何を持つか」よりも「どのように在るか」が重要であると教えてくれます。
静かな空間、簡素な暮らしの中にこそ、人生の醍醐味と創造の源泉がある。
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