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知識ではなく、心で感じる――詩も禅も“味わう”ことが本質

たとえ一文字も読めなくとも――
心に詩の情趣(こころ)がある人は、詩の世界を深く味わい、真の面白さを理解することができる。

また、一偈(いげ)も学んだことがない人であっても――
禅の精神の“味”を心で感じ取ることができる人は、禅の奥深い極意にふれることができる。

つまり、詩も禅も、言葉や形式よりも大切なのは、「心で感じ、味わうこと」なのである。
知識や技巧の積み重ねも重要だが、それだけでは真の本質には届かない。

本項は、**「知」よりも「感」、外形よりも内面、頭よりも心」**を重んじる、東洋思想の核心に触れる一節である。


引用(ふりがな付き)

一字(いちじ)をも識(し)らずして、而(しか)も詩意(しい)有(あ)る者(もの)は、
詩家(しか)の真趣(しんしゅ)を得(え)たり。
一偈(いちげ)にも参(さん)せずして、而も禅味(ぜんみ)有る者は、
禅教(ぜんきょう)の玄機(げんき)を悟(さと)る。


注釈

  • 詩意(しい):詩のもつ情趣、風雅、感性。理屈ではなく心で味わうこと。
  • 偈(げ):仏教、特に禅宗で用いられる漢詩形式の教え。悟りの言葉として詠まれる。
  • 参(さん)せず:参禅修行をしていない、習っていないという意味。
  • 禅味(ぜんみ):禅の味わい。理屈ではない感得の境地。
  • 玄機(げんき):奥義、真理の核心。不可思議でありながらも深く意味のある働き。

関連思想と補足

  • 『老子』『荘子』では、「知をもってせず、直感や自然な感覚をもって事に当たる」ことがしばしば強調される。
  • 禅宗では、「不立文字(ふりゅうもんじ)」「教外別伝(きょうげべつでん)」などの語が示す通り、**形式や言葉ではなく“心の直接伝達”**を重視する。
  • 『論語』にも「詩を学ばざれば、言に達せず」とあるように、詩とは形式を超えた教養と感性を養う道でもある。
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