竹垣のそばで犬が吠え、鶏が鳴く――ただそれだけの素朴な音が、
ふと心をうっとりさせて、まるで雲の中にある仙人の世界にでもいるような気分にさせてくれる。
また、書斎にいると、いつも蝉の声が聞こえ、カラスの鳴き声が響く。
そのときに初めて気づくのだ。
この静けさのなかにこそ、天地(乾坤)の広がりがあるのだと。
つまり、「どこか別の場所」に理想郷を求めるのではなく、
「いま・ここ」に目を向ければ、日常の中にも天地があり、悟りがある。
引用(ふりがな付き)
竹籬(ちくり)の下(した)、忽(たちま)ち犬(いぬ)吠(ほ)え鶏(にわとり)鳴(な)くを聞(き)けば、
恍(ほう)として雲中(うんちゅう)の世界(せかい)に似(に)たり。
芸窓(げいそう)の中(なか)、雅(つね)に蟬(せみ)吟(ぎん)じ鴉(からす)噪(さわ)ぐを聴(き)けば、
方(まさ)に静裡(せいり)の乾坤(けんこん)を知(し)る。
注釈
- 竹籬(ちくり):竹で編まれた垣根。自然のある素朴な環境。
- 犬吠え鶏鳴く:田舎や静かな場所に見られる、ありふれた生活音。陶淵明の詩などでは理想郷の象徴でもある。
- 芸窓(げいそう):書斎のこと。「芸」は虫よけの香草(例:ルー)を意味し、紙魚除けのために書物に挟まれた。
- 雅(つね)に:いつも、ふだん。朱子以来、「つね」の読みが定着し、日常的な繰り返しの意味を持つ。
- 乾坤(けんこん):天地。宇宙全体を意味する古語。日常の中にある“全体性”の象徴。
関連思想と補足
- 『老子』第80章では、「自分たちの今の暮らしを最上とすること」「隣国の鶏犬の声は聞こえても交流はしない」という、
自足と静寂の理想郷観が語られている。 - 陶淵明(365–427)もまた、「桃花源記」で理想郷を描きつつ、日常に根ざした詩情を重視している。
- 『菜根譚』が伝えるのは、「変わった体験」ではなく「平凡な生活」の中にこそ、
気づき・悟り・喜びがあるという古今不変の真理である。
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