俗世間を超越する(=出世)ための道は、山に籠ることではない。
むしろ、この世の中を普通に生き、世の人と交わりながらも、
その内に静かなる悟りを持っていることが本当の出世の道である。
また、心を悟る(=了心)ための修行とは、欲を断ち切り、
人間味を殺して死んだ灰のような心を作ることではない。
自分の本来の心に真摯に向き合い、尽くすことでこそ、真の悟りが生まれる。
つまり、「和光同塵」とは、
自己の光(徳や悟り)を押しつけることなくやわらげ、
俗世の“塵”に同じながらも、心の本質を保ち続ける――
そんな静かで強い在り方を意味する。
引用(ふりがな付き)
出世(しゅっせ)の道(みち)は、即(すなわ)ち世(よ)を渉(わた)るの中(うち)に在(あ)り、
必(かなら)ずしも人(ひと)を絶(た)ちて以(も)って世(よ)を逃(のが)れず。
了心(りょうしん)の功(こう)は、即ち心(こころ)を尽(つ)くすの内に在り、
必ずしも欲(よく)を絶ちて以って心(こころ)を灰(はい)にせず。
注釈
- 出世(しゅっせ):世間的な成功ではなく、仏教的な「出世間(しゅっせけん)」=俗を超えた境地のこと。
- 了心(りょうしん):心を悟ること。本来の自己を知ること。
- 心を尽くす:自らの心の働きを丁寧に見つめ、誠実に向き合うこと(『孟子』尽心上篇より)。
- 和光同塵(わこうどうじん):老子の言葉。「光(才能・徳)をやわらげ、塵(俗)に同ずる」。人と交わりながらも、自己を保ち、力をひけらかさずに生きる智慧。
関連思想と補足
- 『老子』第四章:「其の鋭を挫(くじ)き、其の紛(まど)いを解き、其の光を和(やわ)らげ、其の塵に同ず」――
自己をむやみに押し出さず、周囲と調和する姿勢が、道(タオ)に適った生き方であると説く。 - 『孟子』尽心上篇:「其の心を尽くす者は、其の性を知るなり。其の性を知れば、則ち天を知るなり」――
真の自己理解を通じて、宇宙の理(ことわり)に至る道を示している。
このように、本項は**「俗を離れずして、俗を超える」**、東洋思想の根幹とも言える美徳を表現している。
原文
出世之道、卽在涉世中、不必絕人以逃世。
了心之功、卽在盡心內、不必絕欲以灰心。
書き下し文
出世の道は、即ち世を渉るの中に在り、必ずしも人を絶ちて以て世を逃れず。
了心の功は、即ち心を尽くすの内に在り、必ずしも欲を絶ちて以て心を灰にせず。
現代語訳(逐語/一文ずつ訳)
「出世の道は、即ち世を渉るの中に在り、必ずしも人を絶ちて以て世を逃れず」
→ 真に俗世を超えた生き方(=出世の道)は、現実の社会の中に身を置きながら実践されるものであり、人間関係を断って世間から逃れる必要はない。
「了心の功は、即ち心を尽くすの内に在り、必ずしも欲を絶ちて以て心を灰にせず」
→ 心を悟る修養も、心の働きを尽くすことの中にあり、欲を完全に絶って心を冷たく無感動にする必要はない。
用語解説
- 出世(しゅっせ):ここでは「社会的成功」ではなく、「世俗を超越した境地」「精神的な自由」の意。
- 渉世(しょうせい):世間を渡ること、すなわち社会生活や人間関係の中に身を置くこと。
- 絶人(ぜつじん):人と交わるのを断つこと。隠遁や断絶の意。
- 逃世(とうせい):俗世間から逃れること。隠者的生活。
- 了心(りょうしん):心を明らかにすること、悟ること。
- 尽心(じんしん):心を尽くすこと。誠実に思考し、行動すること。
- 絶欲(ぜつよく):欲望を断ち切ること。
- 灰心(かいしん):「心が灰になる」ように無感動・無関心になること。情熱の消滅を象徴。
全体の現代語訳(まとめ)
真に世俗を超えた生き方は、現実社会に身を置き、人と交わりながらこそ成し得るものであり、人との関係を断って世間から逃れる必要はない。
また、心の修養や悟りも、日々の思考や行動を誠実に尽くす中にこそあり、欲望を完全に断ち切って、心を無感動にしてしまう必要はない。
解釈と現代的意義
この章句は、**「真の精神的完成は、現実逃避ではなく現実の中でこそ得られる」**という、極めて実践的かつバランスの取れた哲学を語っています。
- 第一文は、仏教や老荘思想にある“出世間的境地”を、あえて世俗の中で生きながら実践すべきものと位置付けています。
- 第二文は、修養や悟りを心の自然な動きの中で磨くべきであり、感情や欲を完全に断つのではないと説きます。
すなわち、**「人間らしい営みの中でこそ精神性は磨かれる」**ということです。
ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)
1. 「逃げずに、社会の中で理想を実現する」
出世=成功ではなく、精神的完成を意味します。
「嫌なことから逃げて孤高を保つ」のではなく、あえて難しい環境に身を置きながら、**その中で自己を保つことが本当の“道”**なのです。
たとえば、対人関係が苦手でも、職場内で誠実に向き合い、信頼関係を築こうとする努力が、まさに“渉世の中の出世”です。
2. 「欲望を否定するより、使いこなす」
ビジネスの現場では、成長意欲や目標達成への執着は自然なことです。
大切なのは、それを盲目的に追うのではなく、「心を尽くして制御すること」。
つまり、欲を断つのではなく、“欲に振り回されない在り方”を身につけることが成熟したリーダーの姿です。
3. 「日常の実践が最高の修行」
心を磨く修養は、特別な研修や瞑想に頼るものではなく、日々の報連相、誠実な顧客対応、率直なフィードバックなど、実務の中にあるというメッセージは、まさに現場主義の心得です。
ビジネス用の心得タイトル
「逃げず、枯れず、尽くす──現場こそが“道場”」
この章句は、「逃避」や「極端な禁欲」を否定し、社会の中でこそ人は鍛えられ、悟りを得るという、現実的かつ理想的な人生観を提示しています。
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