MENU

自然に学べば、静けさと無心の妙理にたどり着ける

大河は満々と水をたたえていても、音を立てずに静かに流れている。
この自然の姿から学べるのは、たとえ喧騒の中に身を置いていても、心の内側に“静けさ”を保つことができるという真理である。
外界がどんなに騒がしくとも、内面に静かな水面を持てば、環境に振り回されずにいられる。

また、山がどれほど高くそびえていても、その頂を雲が自由に流れていく。
これは、自己の存在がどれほど大きくなっても、他を妨げたり支配しようとすることなく、ただ“在る”ことの尊さを教えてくれる。
その境地に至れば、執着を手放し、「有(う)を出でて無(む)に入る」――
つまり無心の状態に至るための“妙機(みょうき)”=きっかけや悟りの入り口を得ることができるのだ。

自然は、言葉を語らずとも、深い人生の智慧を伝えてくれる。


引用(ふりがな付き)

水(みず)流(なが)れて而(しか)も境(きょう)に声(こえ)なし、喧(けん)に処(お)いて寂(じゃく)を見(み)るの趣(おもむき)を得(え)ん。
山(やま)高(たか)くして而も雲(くも)碍(さまた)げず、有(う)を出(い)でて無(む)に入(い)るの機(き)を悟(さと)らん。


注釈

  • 境(きょう):あたり、風景、場。自然の外的環境。
  • 喧に処して寂を見る:騒がしい中にあって、内面の静けさを保つこと。
  • 雲が碍げられない(さまたげられない):妨げられることなく自然に漂う様子。執着のなさ。
  • 有を出でて無に入る:物にとらわれず、心を空(くう)に近づけること。無心の境地に至る。

関連思想と補足

  • 本項は『菜根譚』後集63条に通じ、「自然の観察から得る精神修養」の典型例である。
  • 『論語』子罕第九には「逝く者は斯の如きかな、昼夜を舎かず」とあり、川の流れが人生・時・修養の比喩とされる。
     ここでは、「努力の継続」とともに、「音を立てずに流れる静けさ=無名の徳」も読み取ることができる。
  • 禅や道家の思想でも、「自然の流れに倣い、無為の中に身をゆだねること」が理想とされる。
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次