地位や財産は、空に浮かぶ雲のようなもの。つかの間であり、やがて消えゆく儚い存在にすぎない。
それを悟り、「富貴などは浮雲のようなものだ」と受け止められれば、それで十分なのである。
なのに、さらに自分の“立派さ”にこだわり、仙人のように山に籠って生きようとする必要はない。
また、泉石(せんせき:自然風景)を愛しすぎて、病的なまでに自然にこだわるのも極端である。
むしろ、日常の中で酒を嗜み、詩を詠みながら、心静かに風流を味わう――それくらいの、ほろ酔い加減の境地が、ちょうどよい。
人生は、肩肘張らずに、ほどほどの余白を持って楽しむものなのだ。
引用(ふりがな付き)
富貴(ふうき)を浮雲(ふううん)にするの風(ふう)有(あ)りて、而(しか)も必(かなら)ずしも岩棲(がんせい)穴処(けっしょ)せず。
泉石(せんせき)に膏肓(こうこう)するの癖(くせ)無(な)くして、而(しか)も常(つね)に自(みずか)ら酒(さけ)に酔(よ)い詩(し)に耽(ふけ)る。
注釈
- 富貴を浮雲にする:『論語』述而第七の「富貴は我において浮雲のごとし」に基づく。富や名声に執着しない姿勢。
- 岩棲穴処(がんせいけっしょ):山中に籠って仙人のように暮らすこと。極端な隠遁。
- 泉石に膏肓する:「膏肓」は不治の病を意味し、自然への偏愛が病的になっている様を示す。
- 常に自ら酒に酔い詩に耽る:酒を楽しみ、詩を作るという穏やかな風流生活。あくまで“ほどよく”が理想。
- 耽る(ふける):一つのことに没頭すること。ここでは趣味や文学への浸り。
関連思想と補足
- 本項は「中庸」の思想と親和性が高い。極端な禁欲でも贅沢でもなく、「無理せず、趣ある日常」を推奨。
- 『菜根譚』前集59条・100条・103条でも富貴への距離感が説かれ、本項と呼応する内容。
- 後集123条に「酒は微酔に飲む」とあり、ここでも“過ぎたるは及ばざるがごとし”という価値観が貫かれている。
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