人生とは、石と石がぶつかって瞬間に飛び散る火花のように、あっという間に過ぎ去るもの。
それほど短い一生であるにもかかわらず、人は「自分の方が少し勝っている」「相手の方が少し劣っている」と、わずかな差を競い合っては争っている。
また、この世の中そのものが、カタツムリの角の上のように狭い世界であるにもかかわらず、
その狭い領域で、「自分が上だ」「あいつが下だ」といった、雌雄を決めたがる騒がしさで満ちている。
人生の短さと世界の小ささに気づけば、争いの多くは取るに足らないものだとわかるはずだ。
しかし、そこに気づかず執着するのが、哀しき人間の性でもある。
引用(ふりがな付き)
石火光中(せっかこうちゅう)に、長(ちょう)を争(あらそ)い短(たん)を競(きそ)う、幾何(いくばく)の光陰(こういん)ぞ。
蝸牛角上(かぎゅうかくじょう)に、雌(めす)を較(くら)べ雄(おす)を論(ろん)ず、許大(きょだい)の世界ぞ。
注釈
- 石火光中(せっかこうちゅう):石と石がぶつかって火花が一瞬飛ぶように、人生のはかなさを象徴する比喩。
- 長短を争う:他人と比べて、勝っているか負けているかを競い合うこと。
- 光陰(こういん):月日や時間の意。「幾何の光陰」とは「いったいどれほどの時間があるというのか」と、短さを問うている。
- 蝸牛角上(かぎゅうかくじょう):『荘子』則陽篇からの引用。カタツムリの角の上という極小の空間を喩えに、人間の世界の小ささ・争いの無意味さを説く。
- 雌を較べ雄を論ず:どちらが上か、優れているかを論じること。動物の雌雄に例えている。
関連思想と補足
- 『荘子』の故事による相対主義的な視点が背景にある。
→「大小・勝負・上下といった区分は、見方次第であり本質的意味はない」という哲理。 - 「幾何」と「許大」という時間と空間の対句を用いて、人生の短さと世界の狭さを同時に示している。
- 現代社会におけるSNS上のマウンティングや、小競り合いにも通じる普遍的な洞察。
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