文字のある書は読めても、文字のない書(自然や沈黙の中にある真理)を読むことができない。
弦の張った琴は奏でられても、弦のない琴――つまり、音なき中にある調べを感じ取ることはできない。
人は目に見えるもの、手で触れられるものばかりを信じ、それを超えた精神的なものや無形の働きには耳を傾けようとしない。
しかし、書や琴が真に伝えようとする趣(おもむき)は、その形の奥、言葉や音を超えた「神(しん)」にこそ宿る。
形を追いすぎれば、肝心な「心」が見えなくなる。
表層にとらわれず、見えないものを感ずる力――それが、本質をつかむ鍵である。
引用(ふりがな付き)
人(ひと)は有字(ゆうじ)の書(しょ)を読むを解(かい)して、無字(むじ)の書(しょ)を読むを解(かい)せず。
有絃(ゆうげん)の琴(こと)を弾(ひ)くを知(し)りて、無絃(むげん)の琴を弾(ひ)くを知らず。
迹(あと)を以(も)って用(もち)い、神(しん)を以って用いず。
何(なに)を以ってか琴書(きんしょ)の趣(おもむき)を得(え)ん。
注釈
- 有字の書/無字の書:文字によって表現された書と、自然や沈黙など形を持たない「書」。後者は真理や心の働きを象徴。
- 有絃の琴/無絃の琴:実際に音を鳴らす琴と、形のない琴=精神的な響き、無音の中にある調べ。
- 迹(あと):目に見える形式・現象。書で言えば「文字」、琴で言えば「音」や「形」。
- 神(しん):精神・心の働き。形を超えた真の意味や趣の本質。
- 琴書の趣:芸術や表現を通じて伝えられる精神的な味わい・真理。
関連思想と補足
- 『荘子』や『老子』に通じる、「形を超えて道を感じよ」という道家思想の一端。
- 禅における「不立文字(ふりゅうもんじ)」――言葉に頼らず、直感で真理を会得する態度にも近い。
- 芸術においても、「形」より「精神」「気配」を重視する東洋美学の思想が色濃く表れている。
原文:
人解讀有字書、不解讀無字書。
知彈有絃琴、不知彈無絃琴。
以迹用、不以神用。
何以得琴書之趣。
書き下し文:
人は、有字(ゆうじ)の書を読むを解して、無字(むじ)の書を読むを解せず。
有絃(ゆうげん)の琴を弾(ひ)くを知りて、無絃(むげん)の琴を弾くを知らず。
迹(あと)を以(もっ)て用い、神(しん)を以て用いず。
何を以てか、琴書(きんしょ)の趣(おもむき)を得ん。
現代語訳(逐語/一文ずつ):
- 「人は、有字の書を読むことは理解するが、無字の書を読むことは理解しない」
→ 人は文字のある本を読むことはできるが、自然や沈黙などに宿る“文字なき書物”を読むことは苦手である。 - 「有絃の琴を弾くことは知っているが、無絃の琴を弾くことは知らない」
→ 音の出る楽器を奏でる術は知っていても、音を超えた“心の琴線”を奏でることはできない。 - 「形ある“跡”で物事を扱い、形のない“精神”で扱うことができない」
→ 表面的な形や技術ばかりに頼り、内面の精神や本質に目を向けない。 - 「そのようであっては、どうして琴や書物の本当の趣を味わえるというのか」
→ このままでは、音楽や読書の真の愉しみ、本質的な味わいには決して到達できない。
用語解説:
- 有字の書:文字が書かれている通常の書物。学問や知識の象徴。
- 無字の書:文字では書かれていない自然・人生・沈黙などから読み取る“非言語の教え”。
- 有絃の琴:絃のある楽器。通常の音楽行為。
- 無絃の琴:絃のない琴=形なき美、精神の共鳴、禅的・象徴的な“心で奏でる琴”。
- 迹(あと):外形・形跡。物事の表面。
- 神(しん):精神・内面・本質。
- 琴書の趣(きんしょのおもむき):音楽や読書などの芸術を通して得られる深い趣・味わい・精神的感動。
全体の現代語訳(まとめ):
人は文字のある本を読むことは理解できるが、自然や沈黙の中にある“無文字の書”を読むことはできない。
また、実際に音を奏でる琴は弾けるが、絃のない心の琴を奏でる術は知らない。
このように、形あるものだけを使い、精神的な本質を使わないのであれば、どうして本当に書や音楽の深い趣を味わうことができようか。
解釈と現代的意義:
この章句は、**「本質は“形”よりも“精神”にある」**という東洋的な知恵の核心を説いています。
1. 「見えるもの」に偏った現代人への警鐘
- 我々は“文字情報”や“数値”、“成果”に過度に依存しており、そこに現れない「空気」「余韻」「沈黙」を軽視している。
- だが、真の教えや感動は、むしろそうした“無形”に宿る。
2. “無字の書”を読む力=感受性と内観力
- 自然の変化、人の気配、沈黙の意味など、非言語の情報に敏感であることが、真の学び手・芸術家・リーダーを育てる。
3. “無絃の琴”を奏でるとは、心を響かせること
- 技術や能力に頼るだけでなく、誠意・情熱・信念を込めることが本当の「表現」になる。
- つまり、“魂で伝える”という次元が求められている。
ビジネスにおける解釈と適用:
1. “形式”だけでなく“本質”を見よ
- 書類や報告の数値は有字の書だが、その背景にある現場の空気・顧客の感情は“無字の書”。
→ 表面的なKPI分析に終わらず、背景にある本質的な課題を“読む”ことが求められる。
2. “技術”だけでなく“心”を使え
- プレゼンや営業トークが上手でも、心が通っていなければ人の心は動かない。
→ 「有絃の琴」では足りず、「無絃の琴」を奏でられる人間性が問われる。
3. “静けさ”や“余白”に学ぶ
- 会議の沈黙や、何も起こっていない時間帯にこそ、重要な兆しが隠れている。
→ 「発言」よりも「沈黙」、「行動」よりも「気配」に注目できるかどうかが、真の観察力。
ビジネス用心得タイトル:
「無字を読み、無音を奏でよ──本質は“かたち”の外に宿る」
この章句は、「形なきものに学び、伝えよ」という智恵の極意です。
現代においては、形式化・数値化・言語化されすぎた情報社会の中で、「感性」「精神」「沈黙」による本質的な理解力を取り戻すための貴重な指針になります。
コメント