人が欲望に執着している場合には、それをやめさせ、改めさせることはまだ可能である。
なぜなら、欲は外に現れるものであり、条件や環境によってある程度制御できるからだ。
しかし、人が自分の「正しさ」に執着している場合――つまり「理屈(義理)」に固執しているときは、
その人を説得し、考えを変えさせるのは非常に困難である。
なぜなら、それが“正しいこと”と信じられている分だけ、むしろ正義として自らを強化してしまうからだ。
また、目に見える「物の障害」なら取り除くことはできる。
しかし、「道理上の障害」――すなわち観念や思想のこだわりによる障害は、取り除くのがきわめて難しい。
だからこそ、知識や主義に溺れて偏ることを自戒しなければならない。
人間の本当の成熟とは、単に知識を増やすことではなく、柔軟で開かれた思考を持ち続けることにあるのだ。
原文(ふりがな付き)
「縦欲(じゅうよく)の病(やまい)は医(い)すべし、
而(しか)して執理(しゅうり)の病は医し難(がた)し。
事物(じぶつ)の障(さわ)りは除(のぞ)くべし、
而して義理(ぎり)の障りは除き難し。」
注釈
- 縦欲(じゅうよく):欲望に身を任せること。貪欲・感情的な執着。
- 執理(しゅうり):理屈にこだわること。自分の“正しさ”を絶対視して動かない状態。
- 事物の障り:現実的な障害。環境や条件による妨げ。
- 義理の障り:道理や思想に基づく観念的な障害。信念や理念の頑なさ。
パーマリンク候補(英語スラッグ)
stuck-in-logic-hard-to-heal
(理屈に固まった人は治しがたい)desire-can-be-tamed-ego-not
(欲は抑えられるが、理屈の我は難しい)beware-righteous-stubbornness
(正しさへの頑固さに注意)
この条は、「正しいこと」そのものが盲信の対象となる危険性を、明確に指摘しています。
正論を振りかざすことが、かえって他者との対話を不可能にしてしまう――それは現代の社会やネット言論にも通じる重要なテーマです。
知識や主義ではなく、柔らかい心を持つことの尊さを忘れずにいたいものです。
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