夜の終わりと朝のはじまり――そこに本当の自己が立ち現れる。
夜が更けていき、街の光も消え、音という音がなくなるとき――
それは、人がようやく深い静寂とやすらぎ(宴寂)に入るときである。
明け方の夢から目覚め、まだ万物が動き出さない世界に身を置くとき――
それは、人が混沌の状態からようやく目覚め、自我を取り戻す瞬間である。
このような静謐な時間に乗じて、
一念、心を内にめぐらせて反省(廻光返照)し、
烱然(けいぜん)とした明るさで自分を照らし返すことができれば、
はじめて我々は知ることになる――
日常で信じて疑わない耳・目・口・鼻といった感覚は、すべてが桎梏(しっこく=束縛)であり、
私たちの行動や好みは、欲望によって動かされる機械仕掛けのようなものであるということを。
原文(ふりがな付き)
一燈(いっとう)蛍然(けいぜん)、万籟(ばんらい)声(こえ)無し。此(これ)吾人(ごじん)初(はじ)めて宴寂(えんじゃく)に入(い)るの時(とき)なり。暁夢(ぎょうむ)初(はじ)めて醒(さ)め、群動(ぐんどう)未(いま)だ起(お)こらず。此れ吾人初めて混沌(こんとん)を出(い)づる処(ところ)なり。此(こ)の時(とき)に乗(じょう)じて一念(いちねん)廻光(えこう)し、烱然(けいぜん)として返照(へんしょう)すれば、始(はじ)めて耳目口鼻(じもくこうび)は皆(みな)桎梏(しっこく)にして、情欲嗜好(じょうよくしこう)は悉(ことごと)く機械(きかい)たるを知らん。
注釈
- 一燈蛍然(いっとうけいぜん):蛍のように弱い一筋の光。夜の終わり、街の灯が消えてゆく描写。
- 万籟無声(ばんらいむせい):万物の音がすべて消えた静寂の状態。
- 宴寂(えんじゃく):心が静かで落ち着いた、深い眠りの境地。
- 廻光返照(えこうへんしょう):禅語。心の光を内にめぐらせ、自分の本質を照らし、反省すること。
- 烱然(けいぜん):ぱっと明るく光り照らす様。悟りや気づきの瞬間。
- 桎梏(しっこく):手かせ足かせ。束縛されている状態。
- 機械(からくり):本来自由であるはずの人間が、欲望という動力により機械のように動かされている状態。
※この考え方は、仏教や禅の「反観自照(はんかんじしょう)」や、「観想」の思想と深く通じます。
吉田松陰は「日々自省せざる者、終に大道を知らず」とし、静寂の中での自己内省を非常に重視しました。
パーマリンク(英語スラッグ)
silent-self-reflection
(静かな内観)return-to-true-self
(真の自分に還る)see-the-machinery-of-desire
(欲望という機械を見抜く)
この条文は、“忙しすぎる現代人”への静かな問いかけでもあります。
慌ただしい日々の中では、
私たちはしばしば「自分が何を求め、なぜ行動しているのか」を見失いがちです。
しかし――すべてが静まりかえる未明の時間、
自分の心を内にめぐらせ、反省し、本心に向き合うことができれば、
「私という存在が、どれほど欲望や感覚に支配されていたか」に気づくことができます。
この気づきこそが、自由な生き方、真の覚醒、そして徳を磨く道への第一歩なのです。
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