美しいものがあれば、必ずその反対に醜いものがある。
それらは表裏一体の対の存在である。
だから、自らの美しさを誇らなければ、誰もそれに対して醜さをぶつけてくることはない。
同じように、清らかさ(潔)があれば、
その反対に**汚れ(汚)**も存在する。
だから、自らの潔白さを強調しなければ、誰もそれを汚そうとはしない。
つまり、自分の美点や清さを声高に誇ることは、無意識に他人を「劣った存在」と対立させてしまう。
慎みを持つ者は、自らを飾らずとも自然と敬意を集め、
誇る者は、知らぬ間に嫉妬や敵意を呼び寄せてしまう。
原文(ふりがな付き)
姸(けん)有(あ)れば、必(かなら)ず醜(しゅう)有りて之(これ)が対(つい)を為(な)す。我(われ)、姸に誇(ほこ)らざれば、誰(たれ)か能(よ)く我を醜とせん。潔(けつ)有れば、必ず汚(お)有りて之が仇(あだ)を為す。我、潔を好(この)まざれば、誰か能く我を汚さん。
注釈
- 姸(けん):美しさ、容姿や品性の美。対義語は「醜(しゅう)」。
- 潔(けつ):清らかさ、潔白さ、純粋さ。対義語は「汚(お)」。
- 仇(あだ):ここでは「対立するもの」「対応物」の意味。単に「敵」ではなく、対を成す存在を指す。
- 誇らざれば/好まざれば:過剰に主張したり、自慢げに表現しなければという意。
※この思想は『老子』第2章の「天下皆美の美たるを知るも、斯(ここ)に悪なる已(のみ)」という言葉と通じます。価値とは相対性を持ち、比べることで生まれるもの。つまり、誇りは比較を生み、比較は争いを招くのです。
パーマリンク(英語スラッグ)
do-not-boast-of-purity
(清らかさを誇るな)beauty-breeds-its-opposite
(美は対立を生む)humility-guards-harmony
(謙虚さが調和を守る)
この条文は、現代におけるSNS時代の自己アピール文化や優越感競争にも強く通じます。
「清く、美しくあること」は大切ですが、それを誇るとき、周囲との無言の対立や比較が生まれるのです。
美しさも潔さも、語らずともにじみ出るものであるべき。
それが真の人間の品格であり、調和の智慧です。
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