人に危害を加えようとする攻撃の心を持つべきではない。
しかし一方で、他人からの危害を防ぐ意識や備えは、必ず持っておくべきである。
これは、他人を信じすぎて何の備えも持たない「不用意な人」への戒めである。
また、
「人に欺されないように」といつも神経をとがらせて疑い深くなるよりも、
たとえ騙されることがあっても、人を信じて生きるほうがましである。
これは、慎重すぎてかえって心がすり減る「猜疑的な人」への警告である。
この二つの言葉――「備えるが攻めない」「信じて傷つくを恐れない」――を両立できたとき、
人は明晰でありながら、どっしりと厚みのある人格を備えるようになる。
原文(ふりがな付き)
人(ひと)を害(がい)するの心(こころ)は有(あ)るべからず、人を防(ふせ)ぐの心は無(な)かるべからず。此(これ)は慮(おもんぱか)るに疎(うと)きを戒(いまし)むるなり。寧(むし)ろ人の欺(あざむ)きを受(う)くるも、人の詐(いつわ)りを逆(さか)うこと毋(なか)れ。此は察(さっ)に傷(きず)るるを警(いまし)むるなり。二語(にご)並(なら)び存(そん)すれば、精明(せいめい)にして渾厚(こんこう)ならん。
注釈
- 人を害するの心は有るべからず:他人を陥れようとする意図を持つべきではない。
- 人を防ぐの心は無かるべからず:危険を回避し、自分を守るための注意は常に必要。
- 慮るに疎し:先を見て考える力が足りない状態。不用心な人への警告。
- 人の欺きを受くるも、人の詐りを逆うこと毋かれ:騙されたとしても、人を疑うよりはまし。信じる姿勢の大切さ。
- 察に傷るる:「察」は洞察や考察を意味するが、これが行き過ぎると、神経質で疑り深くなり、人間関係を壊す。
- 精明にして渾厚ならん:鋭い思慮と、深く安定した人柄。理知と寛容のバランスがとれた人物像。
※この教えと同様の思想は、17世紀フランスのモラリスト、ラ・ロシュフコーにも見られます。彼は「友を疑うのは、友に欺かれるより恥ずかしい」と述べ、信じる勇気と、それによる傷を受け入れる度量の重要性を説いています。
パーマリンク(英語スラッグ)
guarded-yet-trusting
(備えるが、信じる)wisdom-without-paranoia
(賢さは疑心と異なる)balanced-judgment
(偏らない判断)
この条文は、現代にも深く響く**「人との距離感」や「信頼と防御のバランス」**を教えてくれます。
人に心を開くとは、無防備になることではなく、準備を持ちながらも信頼を差し出す勇気にほかなりません。
疑わずにすべてを受け入れる人も、疑ってばかりで誰とも関われない人も、どちらも極端です。
真に成熟した人物とは、その中間点=中庸を保ち、心も行動も安定している人なのです。
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