たとえ悪事を働いたとしても、それを「人に知られたくない」と思う心があるなら、
そこにはまだ良心が残っており、善へと向かう可能性が残されている。
羞恥心や後悔の念は、やがて改心へと導く「善路(ぜんろ)」の入り口になりうる。
一方で、善行を行いながら「誰かに早く知ってほしい」「評価されたい」と思う気持ちは、
すでにそこに「偽善」や「自己愛」という形をとった「悪の根(あっこん)」が宿っている。
行為そのものが善であっても、その動機が自己顕示や虚栄に染まっていれば、
それは真の善とは言えない。善行は、誰にも見られずとも、静かに行うものである。
原文とふりがな付き引用
悪(あく)を為(な)して人(ひと)の知(し)らんことを畏(おそ)るるは、悪中(あくちゅう)にも猶(なお)善路(ぜんろ)有(あ)り。
善(ぜん)を為(な)して人(ひと)の知(し)らんことを急(きゅう)にするは、善処(ぜんしょ)も即(すなわ)ち是(こ)れ悪根(あっこん)なり。
注釈(簡潔に)
- 善路(ぜんろ):善へと向かう道。良心のはたらきや改心の可能性。
- 悪根(あっこん):悪に向かう根。表面的には善に見えても、動機に不純さがあること。
- 人に知られたい:他者評価を目的とする善行。偽善や自己満足に陥りやすい。
1. 原文
爲惡而畏人知、惡中有善路。爲善而欲人知、善處即是惡根。
2. 書き下し文
悪を為(な)して人の知ることを畏(おそ)るるは、悪中にも猶(なお)善路(ぜんろ)有り。
善を為して人の知ることを欲するは、善処も即ち是れ悪根(あっこん)なり。
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳す)
- 爲惡而畏人知、惡中有善路。
→ 悪事をしても、それを人に知られることを恐れている者は、まだ心の中に善へ向かう道が残っている。 - 爲善而欲人知、善處即是惡根。
→ 一方で、善行をしてそれを人に知られたいと願う者は、その行為の中にすでに悪の根が潜んでいる。
4. 用語解説
- 為悪(いあく):悪事・不正な行為を行うこと。
- 畏人知(ひとにしらるるをおそる):人に知られることを恥じ、恐れる。
- 善路(ぜんろ):善に立ち返る道、悔い改めや良心への帰路。
- 為善(いぜん):善行を行うこと。
- 欲人知(ひとにしられんことをほっす):善行をして、その評価を求める姿勢。
- 悪根(あっこん):悪の根源、邪心。善を偽装した欲望や見返りの意図。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
悪事をしても、それを人に知られることを恐れる者には、まだ善へ向かう可能性が残っている。
一方で、善いことをしてその行いを人に認められたいという心を持つ者は、すでにその善行の中に邪な思いが潜んでおり、実は悪の種が芽生えている。
6. 解釈と現代的意義
この章句は、「行為の“善悪”ではなく、その“動機の純粋さ”こそが本質である」という鋭い倫理観を示しています。
- 悪をしても羞恥心や反省心があるなら、善へ向かう余地がある。
- 善を行っても、それを人に誇りたい・知られたいという心があるなら、それは見返りを求めた“偽善”であり、すでに悪に転じている。
つまり、「表面的な善行や道徳よりも、内面の動機と謙虚さが重要である」という極めて深い自己反省の哲理です。
7. ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)
▪ 善意のアピールが過ぎれば信頼を損なう
「こんなに頑張っている」「こんなに良いことをしている」と言いすぎると、受け手には逆効果になる。
見返りを求めず、静かに行う善行こそが評価される。
▪ CSRや善意活動も“本音”が透けて見える
社会貢献や社員福祉も、PRのため・ブランド戦略のためという色が濃ければ、かえって消費者の不信感を招く。
“動機の透明性”が重視される時代にこそ、この章句の意義は大きい。
▪ 失敗や不正の中にも再出発の種がある
不正を悔いる気持ち、恥ずかしいと感じる心がある限り、人は変わることができる。
**問題は、過ちそのものではなく、それを「恥じないこと」**である。
8. ビジネス用の心得タイトル
「善を誇れば悪に転じ、恥じる心にこそ希望が宿る──“動機の真実”が信頼の本質」
この章句は、行為の表面ではなく“心の底にある意図”こそが、真の善悪を決するという、非常に鋭い人間観察です。
善を装うことが最も深い悪に通じ、悪を悔いる心が最も善なる行動へと繋がる──この逆説的な真理こそ、『菜根譚』が伝える“修身の知恵”の真骨頂です。
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