病というものは、はじめは人の目に触れない体内の深部で起きるが、
やがて必ず外にあらわれ、視力や聴力といった
表面的な感覚にまで影響を及ぼす。
肝が病めば目が見えず、腎が病めば耳が聞こえなくなるといった例は、
古代中国の五行説に基づく知恵であるが、
これは私たちの「心の在り方」にもそのまま当てはまる。
つまり、君子として正しく生きたいと願うならば、
人目につく場所で過ちを犯さぬようにする以前に、
人目のないところ――誰も見ていない、ただ自分だけが知る場――で
己の行動を慎むことが必要である。
なぜなら、どれほど巧妙に隠しているつもりでも、
心のゆるみや邪な思いは、
いつか言動や態度、運命の流れにまであらわれてしまうからだ。
“隠れたるところ”を正す者こそが、
真に誠実な生を歩むことができるのである。
「肝(かん)、病(やまい)を受(う)くれば則(すなわ)ち目(め)視(み)ること能(あた)わず、
腎(じん)、病を受くれば則ち耳(みみ)聴(き)くこと能わず。
病は人の見ざる所に受けて、必(かなら)ず人の共に見る所に発(はっ)す。
故(ゆえ)に君子(くんし)は罪を昭昭(しょうしょう)に得(う)ること無きを欲(ほっ)せば、
先(ま)ず罪を冥冥(めいめい)に得ること無かれ。」
注釈:
- 肝/腎と目/耳の関係…五行思想に基づく身体観。病はまず目に見えない内側で始まり、やがて外にあらわれる。
- 昭昭(しょうしょう)…人の目がある場、公の場、可視の世界。
- 冥冥(めいめい)…人の目が届かない場、私的・内面的な世界。
- 君子はその独を慎む…『大学』『中庸』にある重要な教え。「誰も見ていなくても、自分の行動を律することができる」人こそ君子。
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