衛の大夫・公孫朝が、子貢に尋ねた。
「仲尼(孔子)は、誰に就いて学んだのですか?」と。
これに対して子貢は、こう答えた。
「**文王・武王の道はすでに衰えてはいるが、地に落ちたわけではない。今も人の中に生きている。
賢者はその大いなる道を知り、凡人でもその小さな道の一部を知っている。
つまり、文武の道は世のあらゆる場所に存在しているのです。
だからこそ、我が師(孔子)は、どこにいても学ばぬことがなかった。
ゆえに、特定の“常の師”を持つ必要もなかったのです」」
この章は、**「学びとは誰か一人から与えられるものではなく、至るところに存在する道から見出すもの」**であるという、
極めて開かれた学びの姿勢を表している。
真に学ぶ者は、すべての人・出来事・時代を師とすることができるのだ。
原文と読み下し
衛(えい)の公孫朝(こうそんちょう)、子貢(しこう)に問いて曰(い)わく、仲尼(ちゅうじ)は焉(いず)くにか学(まな)べる。
子貢曰(い)わく、文武(ぶんぶ)の道、未(いま)だ地(ち)に墜(お)ちず、人(ひと)に在(あ)り。
賢者(けんじゃ)は其(そ)の大(だい)なる者(もの)を識(し)り、不賢者(ふけんじゃ)は其の小(しょう)なる者を識る。
文武の道、有(あ)らざること莫(な)し。夫子(ふうし)焉(いず)くにか学ばざるあらん。
而(しか)して亦(また)何(なん)の常師(じょうし)か之(これ)有らん。
意味と注釈
- 文武の道、未だ地に墜ちず、人に在り:
周の聖王・文王と武王が実践した道義・政治理念は、完全には失われておらず、今も人々の中に息づいている。 - 賢者は其の大なる者を識り:
優れた者は、その道の本質を見抜く。 - 不賢者は其の小なる者を識る:
凡人であっても、その一部には触れている。つまり誰もが何かしら「道」を知っている。 - 夫子焉くにか学ばざるあらん:
そのような世にあって、孔子が学ばぬことなどあろうか(どこでも学んでいた)、という反語。 - 何の常師か之れ有らん:
特定の一人の師に固定する必要はなかった。すべてを学びの源とした、という意味。
パーマリンク(英語スラッグ)
learning-is-everywhere
他の候補:
every-person-a-teacher
open-learning-like-confucius
wisdom-in-all-places
この章句は、学びとは「場所」「人」「時代」に縛られず、自ら積極的に求め、吸収していく姿勢にあるという、
孔子の根源的な学びの在り方――**「全方位型の学問観」**を象徴しています。
1. 原文
衛公孫朝問於子貢曰、仲尼焉學。子貢曰、文武之道未墜於地、在人。賢者識其大者、不賢者識其小者。莫不有文武之道焉。夫子焉不學、而亦何常師之有。
2. 書き下し文
衛(えい)の公孫朝(こうそんちょう)、子貢(しこう)に問いて曰(いわ)く、仲尼(ちゅうじ)は焉(いずく)にか学(まな)べる。
子貢曰く、文武(ぶんぶ)の道、未(いま)だ地(ち)に墜(お)ちず、人(ひと)に在(あ)り。
賢者(けんじゃ)は其(そ)の大(だい)なる者(もの)を識(し)り、不賢者(ふけんじゃ)は其の小(しょう)なる者を識る。
文武の道有(あ)らざること莫(な)し。
夫子(ふうし)焉(いずく)んぞ学ばざるあらん。而(しか)して亦(また)何(なん)の常師(じょうし)か之(こ)れ有(あ)らん。
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳)
- 衛の公孫朝、子貢に問うて曰く、仲尼は焉にか学べる。
→ 衛の公孫朝が子貢に尋ねた。「孔子(仲尼)は、いったい誰に学んだのか?」 - 子貢曰く、文武の道、未だ地に墜ちず、人に在り。
→ 子貢は答えた。「文王・武王の道(=道徳・礼楽の教え)は、地に失われることなく、人々の中に今も存在しています。」 - 賢者は其の大なる者を識り、不賢者は其の小なる者を識る。
→ 「賢い人はその教えの本質を理解し、そうでない者も断片的にではあれ、何らかの形で知っています。」 - 文武の道有らざること莫し。
→ 「文武の道が、人々の中に存在しないことはありません。」 - 夫子焉んぞ学ばざるあらん。而して亦た何の常師か之れ有らん。
→ 「先生(孔子)が、学ばないことなどあろうか? しかし特定の“決まった師”がいるというわけではないのです。」
4. 用語解説
- 衛(えい):春秋時代の諸侯国のひとつ。
- 公孫朝(こうそんちょう):衛の貴族。孔子に関心を持った人物。
- 仲尼(ちゅうじ):孔子の字(あざな)。
- 子貢(しこう):孔子の高弟で、弁舌と知恵に優れた人物。
- 文武の道(ぶんぶのみち):周の文王・武王が築いた礼楽・徳治の教え(儒教の理想)。
- 常師(じょうし):決まった師匠、固定された学びの対象。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
衛の貴族・公孫朝が子貢に尋ねた。
「孔子先生は、いったい誰に学んだのですか?」
子貢はこう答えた:
「文王・武王の教えは地に落ちることなく、今も人々の中に生きています。
賢者はその本質を理解し、そうでない者でも一部は知っています。
文武の道は、あらゆる人々の中に何らかの形で残っているのです。
ですから、孔子先生が学ばないはずがありません。
しかし、特定の師匠一人だけに学んだというわけでもないのです。」
6. 解釈と現代的意義
この章句は、**孔子の“学びの姿勢”と“知の広さ”**を象徴的に語るものです。
- 孔子の学びは、決まった先生からの受け売りではない。
- あらゆる人から学び取り、本質を見抜く力があった。
- 「文武の道」は人の中に生きており、誰もが“学びの源”となりうるという考え方。
- 知とは体系より“観察力”と“吸収力”にあるという、知的実践主義が示されている。
7. ビジネスにおける解釈と適用
✅「学びの対象は“誰か”ではなく、“何からでも”」
知識や知恵は、上司や本だけでなく、現場、顧客、同僚、失敗などあらゆるものに宿っている。
**“誰から学ぶか”ではなく“どこからでも学ぶ”**姿勢が成長を生む。
✅「固定観念にとらわれず、観察と思考で本質をつかむ」
ルールや教科書を鵜呑みにせず、自ら考え、感じ取り、他者から気づきを得る姿勢が、リーダーシップの基礎。
✅「“この人からしか学べない”という限界を外す」
特定の師匠や権威に固執するのではなく、知のネットワークを広げることが真の学習力。
8. ビジネス用の心得タイトル
「すべての人が師となる──“知は人に在り”を貫け」
– 固定された知識より、あらゆる人の中に学びを見出す姿勢。それこそが成長の鍵である。
この章句は、学びとは形式や制度によってではなく、**“志と観察によって成される”**という孔子学派の根本思想を体現しています。
現代のリーダー・教育者・マネージャーにも大変示唆に富んだ内容です。
コメント