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志に生きるにも、時と理に応じて歩む

時勢と道理を見極め、自らの道を定めていく

孔子は、かつての時代に「逸民(いつみん)」と呼ばれる世を避けた賢者たちが七人いたことを語る。
彼らはそれぞれ、時代の中でどのように志を貫き、またいかにして身を処したか、その違いに注目していた。

まず孔子は、**伯夷(はくい)と叔斉(しゅくせい)**について、「志を下げず、身を汚すこともなかった」と称賛する。彼らは理想を守り抜いた高潔な人物である。

次に、**柳下恵(りゅうかけい)と少連(しょうれん)**については、「志を折り、身を汚したとはいえ、言葉は道理にかなっており、行いは分別にかなっていた。それだけのことだ」と中庸的な評価を与える。

**虞仲(ぐちゅう)と夷逸(いいつ)**に関しては、「隠遁して好きに語りながらも、身の処し方は潔白であり、世との距離感もうまく調整していた」と述べる。

そして孔子は、自らの立場をこの誰とも異なるものとして次のように言い切った。

「私は是らの者とは異なる。道理に従い、可とすべきときは可とし、不可とすべきときは不可とする。固定せず、時に応じて進退を決めるのだ」

孔子の志は、理想をただ掲げるのではなく、現実をよく見て、理と時勢に従って自らの進む道を判断するという、柔軟かつ確固たるものであった。


「我(われ)は則(すなわ)ち是(これ)に異(こと)なり。可(か)とする無(な)く、不可(ふか)とするも無し。」

理想と現実の間に橋をかけ、進退を理によって決める。そこに孔子の志がある。


語句注釈

  • 逸民(いつみん):世を避けて隠遁する者たち。志を持ちながら、仕官せずに生きる賢者。
  • 志を降す(くだす):理想をあきらめ、現実に迎合すること。
  • 身を辱む(はずかしむ):自己の品位を下げる行為をすること。
  • 放言(ほうげん):遠慮なく自由に語ること。
  • 廃は権に中る(はいはけんにあたる):「廃」は見捨てられること、「権」は柔軟な判断。自分が捨てられることを受け入れながらも、うまく時勢に合った行動を取ること。

パーマリンク(スラッグ)案

  • walk-with-reason-and-timing(理と時とともに歩む)
  • neither-fixed-yes-nor-no(可も不可も時による)
  • choosing-paths-wisely(進退を理で決める)

この章は、孔子が理想主義者ではなく、現実を生きる賢者であったことをよく表しています。
高潔さと柔軟さを兼ね備え、状況に応じて「何が義であるか」を判断して生きる――それが真の仁者の姿です。

1. 原文

逸民、伯夷、叔斉、虞仲、夷逸、朱張、柳下恵、少連。
子曰、不降其志、不辱其身、伯夷叔斉與。
謂柳下恵、少連、降志辱身矣、言中倫、行中慮、其斯而已矣。
謂虞仲、夷逸、隠居放言、身中清、廃中権。
我則異於是、無可無不可。


2. 書き下し文

逸民(いつみん)に、伯夷(はくい)、叔斉(しゅくせい)、虞仲(ぐちゅう)、夷逸(いいつ)、朱張(しゅちょう)、柳下恵(りゅうかけい)、少連(しょうれん)あり。
子曰く、「その志を降(くだ)さず、その身を辱(はずか)しめざるは、伯夷・叔斉か」。
柳下恵・少連を謂(い)いて曰く、「志を降し、身を辱むれども、言(げん)は倫(りん)に中(あた)り、行(こう)は慮(りょ)に中る。其(そ)れ斯(こ)れのみ」。
虞仲・夷逸を謂いて曰く、「隠居して放言し、身は清に中り、廃(はい)は権(けん)に中る」。
我(われ)は則ち是(これ)に異なり。可とする無く、不可とするも無し。


3. 現代語訳(逐語・一文ずつ)

  • 「逸民には、伯夷・叔斉・虞仲・夷逸・朱張・柳下恵・少連がいた」
     → 俗世から離れ、独自の生き方を選んだ人々の中に、この七人がいた。
  • 「志を下げず、身を辱めなかったのは伯夷・叔斉だ」
     → 彼らは高い理想を決して曲げず、どんな状況でも節を守った。
  • 「柳下恵・少連については、志を曲げ、身を屈して俗世に従ったが、言動は道理にかなっていた」
     → 彼らは折れたように見えても、発言や行動は思慮深く、倫理に適っていた。
  • 「虞仲・夷逸は隠者として自由な発言をし、身は清廉であり、権力を捨てることは権(理)にかなっていた」
  • 「私はこのどれとも異なる。何が良いとも悪いとも決めない」
     → 自分は「逸民」のいずれの立場にも与せず、是非を定めない柔軟な姿勢をとる。

4. 用語解説

  • 逸民(いつみん):俗世を離れ、独自の生き方を選んだ人々(隠者、超然者)。
  • 伯夷・叔斉:商王朝滅亡後、周に仕えることを拒み、餓死を選んだ高潔の象徴。
  • 柳下恵:過去の章句でも登場した通り、節を守りつつも現実社会に関わった人物。
  • 志を降す/身を辱む:理想を曲げること/地位や体面を落とすこと。
  • 倫(りん)に中る/慮に中る:道理にかなっている/思慮が行き届いている。
  • 放言:遠慮なくものを言う、自由に発言すること。
  • 身中清:身持ちが清廉である。
  • 廃中権:地位を捨てる行為が、合理性を持っていること。
  • 無可無不可:特にこれが正しい・誤りだと決めない態度。柔軟で執着しない姿勢。

5. 全体の現代語訳(まとめ)

逸民(世を捨てて独自に生きた者)には、伯夷・叔斉・虞仲・夷逸・朱張・柳下恵・少連がいた。
孔子はこう言った:
「志を曲げず、身を辱めることもなかったのは伯夷・叔斉である。
柳下恵や少連は、志を下げて身を屈したが、言葉も行動も道理にかなっていた。
虞仲や夷逸は隠居して自由に語り、身を清く保ち、権力を捨てたのは理にかなっていた。
だが私は彼らとは違う。何が正しい、何が間違っているとも、決めつけるつもりはない。」


6. 解釈と現代的意義

この章句は、孔子がさまざまな「高潔な生き方」を尊重しながらも、自らは柔軟で現実的な姿勢を選ぶという価値観を示しています。

  • 高潔を貫いて死を選ぶ(伯夷・叔斉)
  • 現実と妥協しつつも内面の誠実さを守る(柳下恵・少連)
  • 世俗から完全に離れて自由を得る(虞仲・夷逸)

孔子はどの道も否定せず、それぞれに理があると認めながら、「無可無不可」=状況に応じて義を果たすという立場をとります。
それは、状況適応型の知恵と柔軟な倫理観の現れです。


7. ビジネスにおける解釈と適用

「理想・妥協・距離感──多様な“正しさ”を尊重し、柔軟に生きる力」

  • 高潔を貫く=理念を守る社員や起業家
     → 「信念ある辞任」「ブラックな職場を去る」など、誇りを守る選択。
  • 柳下恵型=現実に向き合いながら倫理を守る人
     → 環境は厳しくても、自分の芯と対話しながら働くバランサー型。
  • 虞仲型=距離を置いて自律性を保つ人
     → フリーランスや隠遁型キャリア選択。自分の規範を貫く生き方。
  • 孔子型=状況によって判断し、柔軟に義を行う人
     → 柔軟にリーダーシップを発揮し、固定観念に縛られず善悪を捉え直せる人物。

組織へのメッセージ

  • 「一つの正しさ」を押し付けるのではなく、多様な価値観・信念を認め合う文化が必要。
  • 柔軟な判断力は、混迷の時代にこそ重要なリーダーシップの資質となる。

8. ビジネス用の心得タイトル

「志を貫くか、適応するか──“無可無不可”に宿る柔らかき強さ」


この章句は、「潔さ」「正しさ」「関与のあり方」について深く考えさせられるものです。

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