身を守るより、義を通して生きる覚悟を選ぶ
旅の途中、子路(しろ)は孔子と一時はぐれ、ひとり道に遅れた。
そのとき、杖にかごを掛けて農作業をする老人に出会い、「先生(孔子)を見かけませんでしたか」と尋ねた。
老人は「口だけ動かし、体を働かさず、五穀の区別も知らない者を、どうして“先生”と呼べるのか」と答え、杖を地に立てて草を刈り始めた。
子路は老人の態度に腹を立てることなく、両手を胸前で組んで礼を示した。
この態度に感心したのか、老人は子路を自宅に招いて宿を提供し、鶏をしめ、きび飯でもてなし、自らの二人の子にも会わせた。
翌日、子路は孔子に追いついてこの出来事を報告した。
孔子は「あの者は隠者であろう」と言い、もう一度子路を訪ねさせたが、すでに老人は姿を消していた。
その後、子路は老人の子どもたちに語った。
「人が仕官しなければ、君臣の義は失われてしまう。
君臣の義を廃して、身を守ることにだけ専念するのは、大いなる倫理を乱すことになる。
君子が仕えるのは、名誉や利益のためではない。
義を行い、世を正すためにこそ仕官するのだ。
今の世の中が道を失っていることなど、私たちもよくわかっている。
それでも、それでもなお、義を捨てるわけにはいかない。」
「仕(つか)えざるは義(ぎ)無し。長幼(ちょうよう)の節(せつ)、廃(はい)すべからざるなり。君臣(くんしん)の義(ぎ)は、之(これ)を如何(いかん)ぞ其(そ)れ之を廃(す)てん。其(そ)の身(み)を潔(けが)れざらんと欲して大倫(たいりん)を乱(みだ)る。君子(くんし)の仕(つか)うるや、其(そ)の義(ぎ)を行(おこな)わんとするなり。道(みち)の行(おこな)われざるは、已(すで)に之(これ)を知(し)れり。」
仁は、たとえ報われなくても、義を選び取る意志の中にある。
語句注釈
- 丈人(じょうじん):年配の男性。ここでは、隠者とされる老人。
- 芸(うん):雑草を刈る作業。
- 拱(きょう)して立つ:両手を胸前で組み、敬意を表す古代の礼儀作法。
- 長幼の節(ちょうようのせつ):長幼の秩序を守る倫理。「礼」や「序」とも関わる重要な徳目。
- 大倫(たいりん):五倫のうちの一つ「君臣の義」。人間社会の根本的な秩序・道義。
- 五穀(ごこく):基本的な穀物で、農業の象徴的存在。食べ物と実務の知識を指す。
パーマリンク(スラッグ)案
serve-for-duty-not-reward
(義のために仕える)righteousness-before-safety
(身の安全より義を守る)cannot-abandon-justice
(大義は捨てられない)
この章は、孔子門下の中でもとくに義を重んじた子路の信念を際立たせる逸話です。
たとえ世が乱れていても、自分の使命から目を背けないという、儒者の根本姿勢が表れています。
1. 原文
子路從而後、丈人以杖荷蓧、子路問曰、子見夫子乎、丈人曰、四體不勤、五穀不分、孰爲夫子、植其杖而芸、子路拱而立、止子路宿、殺雞爲黍而食之、見其二子焉、明日子路行以告、子曰、隱者也、使子路反見之、至則行矣、子路曰、不仕無義、長幼之節不可廢也、君臣之義如之何其廢之、欲潔其身而亂大倫、君子之仕也、行其義也、道之不行、已知之矣。
2. 書き下し文
子路(しろ)、従(したが)いて後(おく)る。丈人(じょうじん)、杖(つえ)を以(も)ちて蓧(ちゅう)を荷(にな)う。子路、問いて曰(い)わく、「子(し)、夫子(ふうし)を見たるか」。丈人曰く、「四体(したい)勤(つと)めず、五穀(ごこく)分(わか)たず、孰(たれ)をか夫子と為(な)すや」と。其の杖を植(た)てて芸(う)う。子路、拱(きょう)して立(た)つ。子路を止(と)めて宿(しゅく)せしめ、雞(にわとり)を殺(ころ)して黍(しょく)を為(つく)りて之(これ)を食(くら)わしめ、其の二子(にし)を見(み)せしむ。明日(あす)、子路、行(ゆ)きて以て告(つ)ぐ。子曰(し)く、「隠者(いんじゃ)なり」。子路をして反(かえ)らしめ、之を見(まみ)えしむ。至(いた)れば則(すなわ)ち行(さ)れり。子路曰く、「仕(つか)えざるは義(ぎ)無(な)し。長幼(ちょうよう)の節(せつ)、廃(はい)すべからざるなり。君臣(くんしん)の義(ぎ)、之を如何(いかん)ぞ其れ之を廃(はい)せん。其の身(み)を潔(きよ)くせんと欲(ほっ)して大倫(たいりん)を乱(みだ)る。君子(くんし)の仕(つか)うるや、其の義(ぎ)を行(おこな)わんとするなり。道(みち)の行(おこな)われざるは、已(すで)に之を知(し)れり」。
3. 現代語訳(逐語・一文ずつ)
- 「子路、従いて後る」
→ 子路は孔子の後をついて行っていた。 - 「丈人、杖を以ちて蓧を荷う」
→ 年老いた男が杖をつきながら、蓧(脱穀用の道具)を担いでいた。 - 「子路、子は夫子を見たるか」
→ 子路は「先生(孔子)を見かけましたか?」と尋ねた。 - 「四体勤めず、五穀分かたず、誰をか夫子となす」
→ 「身体も働かず、五穀の種類も分からぬ者を、どうして“先生”と呼べようか」と丈人は皮肉る。 - 「杖を植て芸う」
→ 杖を地面に突き刺して農作業を再開した。 - 「子路拱して立つ」
→ 子路は手を組んで立ち尽くす(礼を尽くして沈黙した)。 - 「宿に招き、鶏をしめてごちそうする」
→ 丈人は子路を泊め、鶏ともち米で手厚くもてなした。 - 「その二人の息子も紹介された」
→ 翌朝、子路は孔子にこのことを報告。 - 「孔子曰く、彼は隠者である」
→ 孔子は「その者は隠者だ」と言った。 - 「子路を再び遣わすが、すでに立ち去っていた」
- 子路の言葉:「仕えないのは義に反する」
→ 子路は、政治に仕えることをやめるのは仁義に反すると主張。 - 「長幼の秩序も、君臣の義も失われてしまう」
- 「自分の潔癖を守るために大きな人倫を壊してはならない」
- 「君子が仕えるのは、義を実行するためだ」
- 「世に道が行われていないことは、すでに分かっている」
4. 用語解説
- 丈人:年配の男。ここでは自給自足で生きる隠者。
- 荷蓧(かちゅう):農具を担ぐこと。
- 夫子:先生の意。ここでは孔子を指す。
- 拱して立つ:腕を組んで黙って立つ。尊敬と敬意を示す。
- 隠者:政治や俗世間を離れ、自然と共に生きる人。
- 長幼の節:年長者と年少者の間にある秩序・礼節。
- 君臣の義:君主と臣下の正しい関係性。
- 大倫:人倫の根本、社会秩序の基本原理。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
子路は孔子の後に従っていた途中で、年配の男が農作業しているのに出会った。
「孔子を見かけましたか?」と尋ねると、男は「五穀も知らぬ者がどうして先生だ」と皮肉を返した。
それでも子路を泊め、食事でもてなした。翌日、孔子は「彼は隠者だ」と判断し、再訪を命じたが既に立ち去っていた。
子路は「仕えることにこそ義がある。君臣の義や年長者と若者の秩序を守るのが道徳だ。
自己の潔癖のために社会秩序を壊してはならない」と述べた。
孔子はその言葉を受け、「世に道が行われていないことは、すでに分かっている」と語った。
6. 解釈と現代的意義
この章句は、「世を捨てること」と「世に関わること」の対立を通じて、個人の信念と社会的責任のあり方を問いかけています。
- 丈人(隠者)は、俗世の混乱に関わらず、自然の中で潔く生きようとする。
- 子路は、社会の中で秩序と義を守ることこそ「君子の行い」であると説く。
- 孔子は、この両者を見つめながら、理想が行われない現実への静かな諦観もにじませる。
7. ビジネスにおける解釈と適用
「潔癖主義 vs. 関与して変える力」
- 隠者の姿勢:信念はあるが社会と断絶
→ 一部の“プロフェッショナル”は、会社の混乱を避けて静かに去る。だが、それは果たして“貢献”か。 - 子路の姿勢:信念ある関与こそ価値
→ たとえ不完全な組織でも、誠実に役割を果たし、秩序と責任を全うする姿勢は「現代の君子」。 - 組織倫理における「秩序」と「義務感」
→ 年功や役割の秩序、上司と部下の信頼関係を維持することも「義」である。
組織人へのメッセージ
- 潔癖さだけでは、組織も社会もよくならない。
- 自らの立場で「義」を貫く行動こそが、リーダーの本質。
8. ビジネス用の心得タイトル
「潔さより、責任ある関与──秩序を支える“仕える義”」
この章句は、「逃げずに関わる」「道が行われないと知っても、それでも関与する」という、組織や社会の中で働く私たちに深く響く問いを投げかけています。
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