志なき者に、仁は託せない
斉(せい)の国の君主・景公(けいこう)は、孔子を招こうとしたが、その待遇を巡って家臣と議論していた。
「魯の国の上席である季氏ほどの厚遇は無理だが、季氏と孟氏の中間くらいならどうだろう」と言ったものの、最終的には「私はもう年をとっている。孔子のような大志ある者を用いることはできない」と口にした。
この話を耳にした孔子は、待遇の問題ではなく、景公に「志」がないことを見て、斉を去る決意をする。
孔子にとって大切なのは地位や報酬ではなく、自らの志を理解し、ともに理想の政治を目指す覚悟を持った者と歩むことだった。
仁の道を志す者は、待遇ではなく、志の共鳴こそを求める。
高待遇よりも、志ある主君との出会いを孔子は望んだ。
登用するなら覚悟を──中途半端な評価は、信頼を失う。
原文
齊景待孔子曰、若季氏則吾不能、以季孟之間待之、曰、吾老矣、不能用也、孔子行。
書き下し文
斉(せい)の景公(けいこう)、孔子(こうし)を待(たい)するに曰(いわ)く、季氏(きし)のごとくするは、則(すなわ)ち吾(われ)能(あた)わず。季孟(きもう)の間(かん)を以(もっ)て之(これ)を待(たい)せん、と。曰く、吾(われ)老(お)いたり。用(もち)うる能(あた)わざるなり。孔子、行(さ)る。
現代語訳(逐語・一文ずつ)
- 「斉の景公、孔子を待つに曰く」
→ 斉国の君主・景公が孔子をもてなす際に言った。 - 「季氏の若くするは、則ち吾能わず」
→ 「季氏のように(厚遇すること)は、私にはできない。」 - 「季孟の間を以て之を待たん」
→ 「季氏(下位の家)と孟氏(中位の家)の間くらいの待遇にしよう。」 - 「曰く、吾老いたり。用うる能わざるなり」
→ 「私はもう年老いた。孔子を使いこなすことができない。」 - 「孔子、行る」
→ それを聞いた孔子は、斉を去った。
用語解説
- 斉の景公:春秋時代の斉国の君主。孔子を招聘したが、実際には活かしきれなかった。
- 待つ(たいす):待遇する、迎え入れてどのように扱うかを決めること。
- 季氏・孟氏:魯国の有力な三卿(季孫氏・孟孫氏・叔孫氏)のうちの二家。家柄の象徴。
- 季孟の間:中程度の待遇。季氏(最も権勢ある)と孟氏(中間)との中間レベル。
- 孔子行る:孔子がその地を去る。辞去。
全体の現代語訳(まとめ)
斉の景公は孔子をもてなすにあたり、こう言った:
「季氏のように厚遇することは私にはできない。季氏と孟氏の間くらいの待遇にしよう。だが私はもう老いているので、あなたを活かすこともできない。」
これを聞いた孔子は、静かにその国を去った。
解釈と現代的意義
この章句は、**「名ばかりの評価」と「実質のない登用」**を孔子が拒否した場面です。
- 景公は孔子の徳を評価する素振りを見せつつも、本気で登用する気がない。
- 孔子は「中途半端な扱い」を潔しとせず、自ら去ることで信念を示した。
つまり、「評価だけして使わない」「処遇だけは整えて実権を与えない」という“表面的な迎合”を孔子は拒んだのです。
ビジネスにおける解釈と適用
「名ばかり登用」に注意せよ──リーダーを活かせる環境か?
- 肩書だけ与えて裁量を与えない組織は、優秀な人材を失う
→ 景公のように、「名誉」や「待遇」だけを与えて、実権や影響力を与えないのは、誠実な人材にとって侮辱となる。 - 能力を活かせる準備がないなら、安易にスカウトすべきでない
→ 「尊敬してます」と言いながら、その能力を活かす覚悟も戦略もないのは、結局自らの信頼を失う。 - 使いこなす覚悟がなければ、受け入れるべきではない
→ 「老いた」「扱えない」と言い訳する前に、迎え入れる側の責任がある。
優秀な人材は、「中途半端な待遇」に敏感
孔子のような人材は、“信念”と“実行力”を重んじます。
形式だけの登用、空虚なポジション、見せかけの賛美は、真のリーダーには通用しません。
まとめ
この章句は、「信念ある人材」をいかに受け入れるべきかという、組織とリーダーのあり方を問うものです。
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