孔子は、何も考えず、何も学ばず、ただ食べて時間を潰すだけの生き方を、強く嘆いた。
そのような者は、せっかくの人生を無為に浪費していると批判している。
驚くべきは、孔子が「博奕(ばくえき)――さいころ遊びや囲碁のような娯楽」にさえも、
「それすらしない者よりはまだましだ」と言っている点である。
つまり孔子は、「何かに心を動かし、意志を使い、少しでも考えたり工夫したりすること」こそが、
人間としての価値ある営みだと説いている。
たとえ遊びであっても、全く何もせずにただ時間を潰すよりは、はるかに人間的だというのだ。
目次
原文
子曰、飽食終日、無所用心、難矣哉。不有博奕者乎、爲之猶賢乎已。
書き下し文
子(し)曰(い)わく、
「飽(ほう)食(しょく)して終日(しゅうじつ)、心(こころ)を用(もち)うる所(ところ)無し。難(かた)きかな。
博奕(はくえき)なる者有(あ)らずや。之(これ)を為(な)すは、猶(なお)已(や)むに賢(まさ)れり。」
現代語訳(逐語/一文ずつ訳)
- 孔子は言った:
「朝から晩まで満腹に食べて何も考えず、心を働かせることもせずに日を過ごすとは、嘆かわしいことだ。」 - 「(そんなことをするくらいなら)博奕(囲碁や双六のような遊戯)をやっている者の方がまだましだ。」
用語解説
- 飽食(ほうしょく):十分に食べること。ここでは「ただ満腹になること」が皮肉的に使われている。
- 終日(しゅうじつ):一日中。
- 無所用心(むしょようしん):心を使うところがない。つまり、何も考えず・目的なく過ごすこと。
- 難矣哉(かたきかな):なんと嘆かわしいことか。強い否定と批判。
- 博奕(はくえき):囲碁・双六などのゲーム。博奕=ギャンブルとする解釈もあるが、ここでは知力や集中力を使う知的遊戯を指す。
- 猶(なお)已むに賢(まさ)れり:「やることをやめているだけの人」よりはまだましだ、の意。
全体の現代語訳(まとめ)
孔子はこう言った:
「朝から晩まで満腹に食べて、何も考えることなく一日を過ごすようでは、まったくもって嘆かわしいことだ。
そういう者よりは、囲碁や双六などに興じて頭を使っている人間の方が、まだよほどマシである。」
解釈と現代的意義
この章句は、**「思考しない日常への強烈な批判」**です。
- 孔子は、単なる「怠惰」ではなく、「思考なき安逸」「無目的な生活」に対して警鐘を鳴らしています。
- 人間には知性があり、それを用いることが**“人間らしく生きる”ための条件**だと示唆しています。
- 仮にそれが遊戯であっても、心を使い、集中し、鍛える活動であれば尊重すべきという柔軟さも読み取れます。
ビジネスにおける解釈と適用
「ルーチンワークに埋もれる“思考停止”に注意」
- 業務を“こなす”だけで満足していないか?
- 考えずに作業を繰り返す日々は、能力の退化と創造性の喪失を招く。
「たとえ娯楽でも、思考ある時間は価値がある」
- オンラインゲームや囲碁・将棋なども、思考力や判断力を鍛えるなら自己投資の一環と捉えられる。
- 重要なのは「何をするか」ではなく、「どう思考するか」。
「社員教育は“考える力”を育てよ」
- 作業能力だけでなく、「考える」「問いを持つ」「工夫する」力を評価・育成することが、本質的な成長につながる。
まとめ
「思考なき安逸は退化──“頭を使う時間”が人と組織を前進させる」
この章句は、人間の尊厳と可能性を支えるのは“心を使うこと”であるという、孔子の根源的なメッセージを含んでいます。
個人の時間管理、教育、組織開発において非常に深い示唆を与える内容です。
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