――人の評価には慎重であれ。見て、聞いて、考えて判断せよ
ある日、孔子は衛(えい)の人物である**公叔文子(こうしゅくぶんし)**について、同じく衛の人・**公明賈(こうめいか)**に尋ねた。
「彼は言わず、笑わず、物を取らずというのは本当か?」
すると公明賈は、そのような評判を誤解であると説明した。
「それは、表面を見ただけの人がそう言っているだけです。
公叔文子は、言うべきときにだけ語るので、誰も不快に思いません。
楽しんだ後にだけ笑うので、無理な笑いがなく、周囲に違和感を与えません。
正義にかなったものだけを受け取るので、誰も偏見を持ちません。」
この理路整然とした説明に対し、孔子は一度はこう言った。
「なるほど、それはもっともだ。」
しかし、すぐに付け加える。
「だが、本当にそうなのだろうか?(それほど完璧な人がいるものだろうか?)」
この最後の疑問には、人を評価することの難しさ、そして噂や伝聞だけで人を判断してはならないという慎重さが込められている。
孔子は、公叔文子に対して尊敬の気持ちは持ちつつも、**“信じるには実見が必要”**という現実的な姿勢を崩さない。
原文とふりがな付き引用:
「子(し)、公叔文子(こうしゅくぶんし)を公明賈(こうめいか)に問いて曰(いわ)く、
信(しん)なるか、夫子(ふうし)は言(い)わず、笑(わら)わず、取(と)らずとは。
公明賈対(こた)えて曰く、以(もっ)て告(つ)ぐる者の過(あやま)ちなり。
夫子は時(とき)にして然(しか)る後(のち)に言う。人、其(そ)の言を厭(いと)わず。
楽しみて然る後に笑う。人、其の笑うを厭わず。
義(ぎ)にして然る後に取る。人、其の取るを厭わず。
子曰く、其(そ)れ然(しか)り。豈(あ)に其れ然らんや。」
注釈:
- 公叔文子(こうしゅくぶんし) … 衛の大夫。評判は高いが、その実像は不明瞭。
- 公明賈(こうめいか) … 同じく衛の人物。冷静に人物を観察できる人物として描かれている。
- 其れ然り。豈に其れ然らんや。
→ 「それは道理の通った説明だ。でも、果たして本当にそうなのか?」
教訓:
この章句は、人の評判をうのみにせず、自分の目と心で慎重に判断せよというメッセージを私たちに伝えています。
「語られた美談」には真実もあるが、話す者・聞く者の思い込みが加わることもある。
だからこそ、観察・経験・冷静な疑いの目が、人を正しく見る鍵になるのです。
1. 原文
子問公叔文子於公明賈。曰、信乎、夫子不言、不笑、不取乎。公明賈對曰、以告者過也。夫子時然後言、人不厭其言。樂然後笑、人不厭其笑。義然後取、人不厭其取。子曰、其然、豈其然乎。
2. 書き下し文
子(し)、公叔文子(こうしゅくぶんし)を公明賈(こうめいこ)に問いて曰(いわ)く、信(まこと)なるか。夫子(ふうし)は言(い)わず、笑(わら)わず、取(と)らずとは。
公明賈、対(こた)えて曰く、以(もっ)て告(つ)ぐる者の過(あやま)ちなり。夫子は時にして然(しか)る後に言う。人、其の言を厭(いと)わず。楽しみて然る後に笑う。人、其の笑いを厭わず。義にして然る後に取る。人、其の取るを厭わず。
子曰く、其れ然(しか)り。豈(あ)に其れ然らんや。
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ)
「子、公叔文子を公明賈に問うて曰く」
→ 孔子が、公叔文子について公明賈に質問した。
「信なるか、夫子は言わず、笑わず、取らずとは」
→ 「本当か?あの人は、まったく言葉を発せず、笑うこともせず、物も受け取らないというのは。」
「公明賈対えて曰く、以て告ぐる者の過ちなり」
→ 公明賈は答えた。「そう言った人が誤解しているのです。」
「夫子は時にして然る後に言う。人、其の言を厭わず」
→ 「その人は、適切な時でなければ口を開かず、だからこそ人はその言葉を嫌がらないのです。」
「楽しみて然る後に笑う。人、其の笑いを厭わず」
→ 「心から楽しんだときだけ笑う。だからこそ、その笑顔は誰にも嫌われない。」
「義にして然る後に取る。人、其の取るを厭わず」
→ 「道義にかなったときにしか物を受け取らない。だからこそ、人はそれを不快に思わないのです。」
「子曰く、其れ然り。豈に其れ然らんや」
→ 孔子は言った。「なるほど、それはもっともだ。だが、(それを真似るのは)果たして本当に可能だろうか。」
4. 用語解説
- 公叔文子(こうしゅくぶんし):衛の政治家。人格的に評価された人物。
- 公明賈(こうめいこ):孔子の弟子で、事情に詳しい人物。
- 其れ然り(それしかり):その通り、納得したという意味。
- 豈其れ然らんや(あにそれしからんや):反語表現。「果たしてそう簡単にできるだろうか?」という慎重な含意。
- 厭(いと)う:嫌がる、うんざりする。
- 義(ぎ):正しい道理や倫理にかなうこと。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
孔子が、公叔文子という人物について質問した:
「彼は本当に、何も言わず、笑わず、物も受け取らないのか?」
すると公明賈はこう答えた:
「そう話した人の誤解です。彼は、話すべき時にしか話さないからこそ、
誰にも煩わしく思われない。心から楽しいときにしか笑わないから、
その笑顔も心地よい。受け取るときも、それが義にかなうときだけです。
だからこそ、誰も彼を非難しないのです。」
孔子は感嘆して言った:
「なるほど、もっともだ。しかし本当に、それほど徹底するのは難しいものだ。」
6. 解釈と現代的意義
この章句は、**「タイミングと節度をわきまえた言動の美徳」**を描いています。
- 話すべき時にだけ語る → 無駄な発言がなく、聞く者に重みと信頼を与える。
- 心からの笑顔だけを見せる → 表情に嘘がないため、周囲が安心する。
- 道義にかなうときだけ受け取る → 利害ではなく原則で動くため、信頼が揺るがない。
孔子が「その通りだ」と言いつつも「簡単ではない」と付け加えたのは、
理想の人物像への共感と、それを実践する困難さへの敬意を示しています。
7. ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)
✅「発言は“的確なタイミング”でこそ価値を持つ」
- 何でもすぐに発言する人より、必要なときに要点を突く人の方が信頼される。
- “沈黙の力”を知ることで、存在感が高まる。
✅「笑顔は“誠実さ”をもって価値を生む」
- 作り笑いや空気を読むだけの笑顔は、時に不快感を与える。
- 心からの反応こそが、チームや顧客との信頼をつくる。
✅「報酬や物品の受け取りは“義”を基準に」
- ギフト・謝礼・昇進など、受け取るときは常に「妥当性」「公正性」を問い直すべき。
- 受け取る姿勢が組織文化や信頼を決める。
8. ビジネス用の心得タイトル
「語るとき、笑うとき、受け取るとき──“時と義”が信頼をつくる」
この章句は、「目立たないが真に信頼される人物像」の美学を説いています。
情報過多・表現過剰の現代において、“慎みと的確さ”こそが人の厚みをつくる──
そんな孔子の知恵が、静かに深く響いてきます。
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