現実を盾に、未熟を任せてはならない
孔子の高弟・子路(しろ)は、季氏(きし)の執事を務めていたとき、後輩である子羔(しこう)を、費(ひ)の町の代官に推薦しようとした。
それを聞いた孔子は、すぐに反対した。
「そんなことをすれば、まだ学びの途中にあるあの若者を台無しにしてしまう」
しかし子路は反論する。
「でも、治める民もおり、守るべき土地(国家)もあります。
学問というのは、書物を読むことだけではなく、現実の中でこそ学べるのではありませんか?」
孔子は、きっぱりとこう言い切った。
「だから私は、口先でうまく取り繕って、本質から目をそらそうとする者が嫌いなのだ」
このやりとりには、学問と実務、そして教育と責任の本質が含まれている。
孔子は、実践を否定していたわけではない。
だが、人格・知識・見識がまだ熟していない者に重要な職務を任せることは、本人の成長を奪い、道を踏み外させる危険があると強く見ていた。
口では理屈をつけられても、それが「誠」でなければ孔子の教えにはならない。
本質を軽んじ、未熟を実務で覆い隠そうとする姿勢を、孔子は厳しく戒めている。
引用(ふりがな付き)
子路(しろ)、子羔(しこう)をして費(ひ)の宰(さい)と為(な)らしむ。
子(し)曰(い)わく、「夫(か)の人の子(こ)を賊(そこ)なわんとす」
子路曰く、「民人(みんじん)有(あ)り、社稷(しゃしょく)有(あ)り。何(なん)ぞ必(かなら)ずしも書(しょ)を読みて、然(しか)る後(のち)に学(まな)びを為(な)さん」
子曰く、「是(こ)れ故(ゆえ)に夫(か)の佞者(ねいしゃ)を悪(にく)む」
注釈
- 子羔(しこう):孔子の弟子。名は高、字(あざな)は子羔。実直で素朴な性格とされる。
- 費(ひ):魯国の一地方。行政を任される“宰”は町の長官に相当。
- 社稷(しゃしょく):国家の意。土地神と五穀の神に象徴される国家秩序。
- 佞者(ねいしゃ):口先が達者な者。ここでは「口で理屈をつけて核心をずらす者」を否定的に指す。
- 賊う(そこなう):人の可能性や徳を損なわせること。
1. 原文(整形)
路使子羔爲費宰。子曰、賊夫人之子。
子路曰、有民人焉、有社稷焉、何必讀書、然後爲學。
子曰、是故惡夫佞者。
2. 書き下し文
子路(しろ)、子羔(しこう)をして費(ひ)の宰(さい)と為(な)さしむ。
子(し)曰(いわ)く、「夫(か)の人の子を賊(そこ)なわんとす」。
子路曰(い)わく、「民人(たみ)有(あ)り、社稷(しゃしょく)有り。何(なん)ぞ必(かなら)ずしも書(しょ)を読(よ)みて、然(しか)る後(のち)に学(がく)を為(な)さんや」。
子曰、「是(こ)れ故(ゆえ)に夫(か)の佞者(ねいしゃ)を悪(にく)む」。
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳)
- 「子路、子羔をして費の宰と為らしむ」
→ 子路は子羔を費という町の長官に推薦した。 - 「子曰く、夫の人の子を賊わんとす」
→ 孔子は言った:「あの人の息子を(人生を)台無しにしようというのか。」 - 「子路曰く、有民人焉、有社稷焉、何必読書、然る後に学を為さんや」
→ 子路は反論した:「そこには民もおり、国の祭祀(社稷)もある。なぜ必ず書物を読んでからでないと、学問や政治を学んだことにならないのですか?」 - 「子曰く、是の故に夫の佞者を悪む」
→ 孔子は言った:「だから私は、口先ばかりで道理を飾り立てるような佞者が嫌いなのだ。」
4. 用語解説
用語 | 意味 |
---|---|
子羔(しこう) | 孔子の弟子の一人。詳細は不明だが若年で実務経験が浅かったとされる。 |
宰(さい) | 地方の行政長官。責任重大なポスト。 |
費(ひ) | 魯の一地域。 |
賊(そこなう) | 害する、人生を破滅させること。 |
社稷(しゃしょく) | 国家・政事の象徴。社は土地神、稷は穀物神で、国家の根幹を表す。転じて「国家」そのものを指す。 |
佞者(ねいしゃ) | 言葉巧みに飾り立てるが、実のない人物。口先だけの者。 |
5. 全体の現代語訳(まとめ)
子路は、若い弟子・子羔を費の長官に推薦した。
これを聞いた孔子は、「あの若者の人生を台無しにしようというのか」と嘆いた。
しかし子路は、「その地域には民もおり、国家の基盤(社稷)もある。書を読んでいないからといって、政治を任せられないわけではない」と反論した。
それに対して孔子は、「だから私は、言葉だけ巧みで実のない“佞者”が嫌いなのだ」と言った。
6. 解釈と現代的意義
この章句は、**「未熟な人材に大任を任せることの危険性」と、「見かけ倒しの弁舌・理屈だけの人物への警戒」**を、孔子が厳しく指摘した場面です。
● 主な教訓:
- 若く未熟な人材に重責を任せることは、その人自身を壊す危険がある
→ 成長のタイミングと責任の重さには配慮が必要。 - “言葉の正当性”ではなく、“行動の適格性”こそが問われる
→ 子路の理屈は一見もっともだが、「現実を担う覚悟と能力」が伴わなければ意味がない。 - 孔子の“嫌うもの”=見た目・言葉だけが立派で中身のない人(=佞者)
→ 言語巧者への批判が込められている。
7. ビジネスにおける解釈と適用
❶「昇進・登用には“器”を見る」
– 若手を過剰に引き上げると、失敗の責任が重く、本人の人生や信用を損なう恐れがある。
❷「“正論”より“適任かどうか”を重視せよ」
– 子路の言葉は立派だが、孔子は本質的に「任に耐える力量があるか?」を見ていた。
→ “言えること”と“できること”は違う。
❸「弁舌やスローガンに頼らず、現実を見よ」
– 表面的な理念・発言・自己主張が先行する人物をリーダーに据えると、組織は内部から崩れる。
→ 孔子はそうした“佞者”の危うさを明確に戒めている。
8. ビジネス用心得タイトル
「任せることが育成ではない──“器を見て任す”が真の人材登用」
この章句は、孔子の人材登用・リーダー観・人間評価の本質を、端的かつ深く示したものです。
「若手に挑戦させたい」「チャンスを与えたい」という善意は、時に本人の破滅にもつながる。
「評価は言葉でなく行動で」「任せる前に見極めよ」という孔子の言葉は、現代の人事・マネジメントにおいても非常に示唆に富んでいます。
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