生まれつきの良さは尊いが、それを磨いてこそ真の高みへ
弟子の子張(しちょう)が孔子に尋ねた。
「生まれつき性質の良い“善人”は、どのような道を進めばよいのでしょうか」
孔子はこう答えた。
「善人は、そのままでも大きな過ちを犯すことはないだろう。
だが、聖人が歩んだ“道の跡”を学び、自らもそれを踏みしめることがなければ、人生の奥義に至る“室”には入れないのだ」
つまり、性格が良いことと、深く学んで人格を高めることは別だというのである。
善人は立派な出発点に立っている。けれど、そこからさらに努力して「君子」、そして「聖人」を目指すべき道がある。
善良さは可能性であって、完成ではない。
それを活かし、伸ばし、深めるのが「学び」であり、孔子の教える「道」である。
引用(ふりがな付き)
子張(しちょう)、善人(ぜんにん)の道(みち)を問(と)う。
子(し)曰(い)わく、「迹(あと)を践(ふ)まず、亦(また)室(しつ)に入(い)らず」
注釈
- 善人(ぜんにん):生まれつき善良な性格を持つ人。ここでは、まだ学問や修養を深めていない段階の者。
- 迹を践まず(あとをふまず):聖人や賢者の歩んだ道=模範となる行動・教えを学ばないこと。
- 室(しつ)に入らず:「奥の部屋」=真理の核心・人格の完成に至らないことを象徴する。
- 君子・聖人:善人の上にある人格的完成度の高い存在。
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