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欠点を知ることは、その人を育てる出発点

短所を認めつつ、可能性として受け止めるまなざし

孔子はあるとき、4人の弟子について率直な評価を口にした。

  • **柴(し:子羔)**は、愚直すぎる。正しさを重んじるあまり、柔軟さに欠ける面がある。
  • **参(しん:曾子)**は、几帳面で誠実だが、ややのろくさく、反応が鈍いところがある。
  • **師(し:子張)**は、思想が偏りやすく、極端に走る傾向がある。
  • **由(ゆう:子路)**は、勇ましいが粗野で大仰すぎるところがある。

一見、これは弟子たちの欠点の指摘に見えるかもしれない。
だが孔子の言葉の底には、その短所を含めて見守り、成長の可能性を信じる師のまなざしがある。

誰にでも弱点はある。だが、それを理解し、補い合い、高めていくことが「学び」であり、「徳の形成」である。

孔子は、欠点を責めるのではなく、冷静に把握した上で、それを超えるよう導いていた。
つまり、「短所はその人の個性であり、成長の余地」であるという教育観がここに現れている。


引用(ふりがな付き)

柴(さい)や愚(ぐ)、参(しん)や魯(ろ)、師(し)や辟(へき)、由(ゆう)や喭(げん)なり。


注釈

  • 柴(子羔・しかい):孔子の弟子。愚直な性格とされるが、誠実で実直。
  • 参(曾子・そうし):礼を重んじ、慎重。反応が遅いことを指摘されているが、深さの裏返しとも取れる。
  • 師(子張・しちょう):理論や信念が極端に傾きがちな弟子。
  • 由(子路・しろ):勇気に富むが、粗野で誇張がち。行動力と裏腹の粗雑さを持つ。
  • 愚・魯・辟・喭:いずれも短所を意味するが、いずれも育て方次第で長所に転化する可能性を示す言葉でもある。

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