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弟子たちの姿に喜び、未来に案じる

それぞれの個性を見守りながら、師は静かに思う

ある日、孔子のもとに4人の弟子が侍していた。
閔子騫(びんしけん)は落ち着いて礼儀正しく、
子路(しろ)はいかにも活発で勇ましく、
冉有(ぜんゆう)と子貢(しこう)は誠実さと喜びに満ちた表情で師のそばにいた。

そんな弟子たちの姿に、孔子は心から喜びを感じていた。
しかしその一方で、ふと子路に目を向けると、こんな思いを口にする。

「由(子路)のような気性では、穏やかな最期を迎えることは難しいかもしれないな……」

それは、ただの予言ではない。
弟子たちの個性を見抜き、その未来を案じ、心から願う――師としての深いまなざしだった。

孔子にとって弟子とは、ただの教え子ではなく、人として育ちを共にする存在。
喜びながらも、ひそかに将来を思いやるその姿勢に、教育者としての優しさと厳しさがにじんでいる。


引用(ふりがな付き)

閔子騫(びんしけん)、側(そば)に侍(じ)す。誾誾如(ぎんぎんじょ)たり。
子路(しろ)、行行如(こうこうじょ)たり。
冉有(ぜんゆう)、子貢(しこう)、侃侃如(かんかんじょ)たり。
子(し)、楽しむ。
由(ゆう)の若(ごと)くんば、其(そ)の死(し)の然(しか)るを得(え)ざらん。


注釈

  • 誾誾如(ぎんぎんじょ):落ち着いていて、礼儀正しい様子。
  • 行行如(こうこうじょ):元気で活発な態度を表す。
  • 侃侃如(かんかんじょ):正々堂々として、頼もしさがある様子。
  • 由(ゆう):子路のこと。直情的で勇猛な性格。
  • 其の死の然を得ざらん:平穏な死(自然な死に方)を迎えられないかもしれない、という意味。
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