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天に見放されたと思うほどの悲しみ

最愛の弟子を失い、孔子が天に嘆いたとき

顔淵(がんえん)が亡くなった――
その知らせを受けた孔子は、あまりの悲しみに耐えられず、天を仰いでこう叫んだ。

「嗚呼(ああ)、天は私を見捨てたのか。天は私を滅ぼそうとしているのか」

弟子は多くいたが、その中でも顔淵は、人格・学問・理解力のすべてにおいて孔子が最も信頼していた存在だった。
孔子の教えを深く理解し、問わずして会得し、慎み深くして誠実。そのような理想の弟子を、自分より先に喪う――

その現実を、孔子は受け入れがたかった。
単なる弟子の死ではない。自らの理想を理解してくれた魂との別離だった。
だからこそ、孔子は「天が私を滅ぼすのか」とまで口にした。

人生には、言葉にできない喪失がある。
人の心では受け止めきれない悲しみが、ある。


引用(ふりがな付き)

顔淵(がんえん)死(し)す。
子(し)曰(い)わく、噫(ああ)、天(てん)、予(われ)を喪(ほろ)ぼすか。
天(てん)、予(われ)を喪(ほろ)ぼすか。


注釈

  • 顔淵(がんえん):孔子の高弟。人格・知性・忠誠心すべてにおいて理想の弟子とされた。
  • 喪ぼす(ほろぼす):失わせる、破滅させる。ここでは「自分を見捨てる、崩れさせる」という意味合い。
  • 予(われ):一人称。孔子自身を指す。
  • 噫(ああ):深い嘆きと悲しみの感嘆詞。

1. 原文

顏淵死、子曰、噫、天喪予、天喪予。


2. 書き下し文

顔淵(がんえん)死(し)す。子(し)曰(いわ)く、噫(ああ)、天(てん)、予(われ)を喪(うしな)うか。天、予を喪うか。


3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳)

  • 「顔淵死す」
     → 最も愛した弟子・顔淵が亡くなった。
  • 「子曰く、噫、天、予を喪ぼすか」
     → 孔子は言った。「ああ……天は私を見捨てたのか。」
  • 「天、予を喪ぼすか」
     → 「天は、私を本当に見放したのか。」(繰り返しの強調)

4. 用語解説

  • 顔淵(がんえん):孔子の最愛の弟子。徳・学問・性格ともに最高の資質を備えていたが、若くして病死。
  • 噫(ああ):深い悲嘆を表す感嘆の言葉。現代語で言えば「うわぁ…」「ああ…」に近いが、より荘重。
  • 天(てん):天命・天理・自然の摂理を指し、時に神意とも解される。儒教においては「天」が道徳の源とされる。
  • 喪ぼす(うしなう):失う、見放す、奪う。

5. 全体の現代語訳(まとめ)

顔淵が亡くなったとき、孔子は深く嘆き、こう叫んだ。

「ああ……天は私を見捨てたのか。天は、私を本当に見放したのか。」


6. 解釈と現代的意義

この章句は、孔子の最も人間的で感情的な一面が表れた言葉です。
理性と礼節を重んじる孔子が、思わず天を恨むようにして発したこの嘆きは、それほどに顔淵の存在が大きかったことを示しています。

  • 「予(われ)を喪ぼす」=弟子の死は、自分の一部の喪失
  • 「天に見捨てられた」という叫び=自然や運命への深い問い

これは、師としての愛、教育者としての喪失感、さらには自らの信じる“天命”そのものへの葛藤の表現でもあります。


7. ビジネスにおける解釈と適用

❶「最良の人材を失ったとき、人も組織も問われる」

– 孔子が顔淵を失った喪失感は、組織におけるキーパーソンの喪失に通じます。人材の重みを真に知る者だけが、その価値を痛感できる。

❷「信念を揺るがすような出来事に、人はどう向き合うか」

– “天に見放された”とまで叫ぶ孔子の姿は、予期せぬ困難に直面したリーダーの葛藤を象徴します。理性では割り切れない状況で、どう心を保つかは組織文化の試金石です。

❸「喪失を“問い”に変える力が、次の再生を生む」

– 孔子はこの嘆きの後も、教えをやめませんでした。悲しみを言葉にし、“問い”に変えていくことが、教育者・リーダーの責務です。


8. ビジネス用心得タイトル

「喪失の痛みは問いとなる──“天に見捨てられた”とき、なお前を向けるか」


この章句は、感情を排した論理的教訓ではなく、心から発せられた叫びそのものです。
最愛の部下・同僚・同志を失うことは、時として「運命」や「正しさ」すら疑わせるほどの衝撃を与えます。

それでも孔子は歩みを止めず、悲しみを背負いながら言葉を残し、教育を続けました。

この章句は、**「それでも続ける者の強さ」**を、静かに、しかし深く教えてくれます。

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