立派に見せることより、誠を尽くすことが大切だ
孔子の最愛の弟子・顔淵(がんえん)が若くして世を去ったとき、父の顔路(がんろ)は孔子に願い出た。
「先生の車を譲っていただけませんか。それを売って、息子のために立派な外棺を買いたいのです」
孔子はこの申し出をやんわりと断り、静かに語った。
「その子に才能があったかどうかにかかわらず、どの親も自分の子を想う気持ちは同じだ。顔淵が私の子・鯉(り)よりも優秀だったことは私もわかっている。だが、私も鯉が亡くなったときには外棺を用意しなかった」
「もし車を売れば用意できたかもしれないが、私はそれをしなかった。というのも、私は大夫の地位にあり、車に乗って出仕するのが礼儀であり、徒歩ではならなかったからだ。形式を整えるよりも、自分のできる限りのことを真心で尽くす――それが何よりも大切なのだ」
孔子のこの言葉には、「礼」を重んじながらも、見栄や虚飾に流されず、心の実を大切にする哲学がにじんでいる。
引用(ふりがな付き)
顔淵(がんえん)死(し)す。顔路(がんろ)、子(し)の車(くるま)を請(こ)いて、以(もっ)て之(これ)が椁(かく)を為(な)らんとす。
子(し)曰(い)わく、才(さい)・不才(ふさい)あるも、亦(また)各(おのおの)其(そ)の子(こ)を言(い)うなり。
鯉(り)や死(し)せしとき、棺(かん)有(あ)りて椁(かく)無(な)し。
吾(われ)、徒行(とかう)して以(もっ)て之(これ)が椁(かく)を為(な)らざりしは、吾(われ)大夫(たいふ)の後(あと)に従(したが)い、徒行(とかう)すべからざりしを以(もっ)てなり。
注釈
- 顔路(がんろ):顔淵の父。孔子の弟子のひとり。
- 顔淵(がんえん):孔子が最も高く評価した弟子。若くして亡くなった。
- 鯉(り):孔子の一人息子。名は伯魚。早世した。
- 椁(かく):棺の外にさらに被せる外棺。格式のある埋葬に用いられた。
- 徒行(とかう):徒歩での移動。大夫などの身分の者は、礼により車を使っての登用が求められた。
1. 原文
顏淵死、顏路請子之車以爲之椁。子曰、才不才、亦各言其子也。鯉也死、有棺而無椁。吾不徒行以爲之椁、以吾從大夫之後、不可徒行也。
2. 書き下し文
顔淵(がんえん)死(し)す。顔路(がんろ)、子(し)の車(くるま)を請(こ)い、以(もっ)て之(これ)が椁(かく)を為(つく)らんとす。子曰(いわ)く、才(さい)あれども不才(ふさい)あれども、亦(また)各(おのおの)其(そ)の子(こ)と言(い)うなり。鯉(り)や死(し)せしとき、棺(かん)有(あ)りて椁(かく)無し。吾(われ)徒行(とかう)して以て之が椁を為らざりしは、吾は大夫(たいふ)の後(こう)に従(したが)い、徒行(とかう)すべからざりしを以(もっ)てなり。
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳)
- 「顔淵死す。顔路、子の車を請い、以て之が椁を為らんとす」
→ 顔淵が亡くなったとき、彼の父・顔路は孔子の車を譲り受けて、その木材で外棺(椁)を作りたいと申し出た。 - 「子曰く、才、不才あるも、亦た各その子と言うなり」
→ 孔子は言った。「才能があるにせよないにせよ、誰もが自分の子を愛するものだ。」 - 「鯉や死せしとき、棺有りて椁無し」
→ 「私の息子・鯉が死んだときには、内棺(棺)は用意したが、外棺(椁)はなかった。」 - 「吾徒行して以て之が椁を為らざりしは、吾は大夫の後に従い、徒行すべからざりしを以てなり」
→ 「私が歩いてでも椁を用意しなかったのは、私は大夫の身分に準じる者として車を手放すわけにいかなかったからだ。」
4. 用語解説
- 顔淵(がんえん):孔子の最愛の弟子。徳が高く、学問に勤しんだが若くして早世した。
- 顔路(がんろ):顔淵の父。孔子の弟子でありながら、性格的には武骨で対照的な人物。
- 椁(かく):棺の外側に重ねて使う外棺。身分や財力の象徴ともなっていた。
- 鯉(り):孔子の実の子。名は「鯉(り)」。『論語』にほとんど登場しないが、温厚な人物であったと伝えられる。
- 大夫(たいふ):士より上位の身分。孔子は士の身分ではあるが、政治顧問として大夫に準じる地位にあった。
- 徒行(とかう):徒歩で移動すること。車を持たぬ者の手段。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
顔淵が亡くなったとき、父の顔路は、孔子の車を譲ってもらって、その材料で息子のための外棺(椁)を作りたいと頼んだ。
それに対して孔子はこう言った。
「人は誰しも、自分の子を思うものだ。それは才能があろうとなかろうと変わらない。
私の息子・鯉が亡くなったときでさえ、外棺は用意しなかった。
私が歩いてでも用意しなかったのは、大夫の地位に準じる私が車を手放すべきでなかったからだ。」
6. 解釈と現代的意義
この章句では、“愛情と理性のバランス”、そして**“身分・立場に伴う責任”**というテーマが語られています。
孔子は、顔淵に深い敬愛の情を抱いていましたが、それでも儀礼と立場の原則を曲げることはしませんでした。
さらに、自分の実子・鯉にすら外棺を用意しなかったという事実を示して、一貫した姿勢と規律の重視を強調しています。
これは感情に流されず、倫理・立場・秩序に基づいた判断を大切にした孔子の姿勢の表れです。
7. ビジネスにおける解釈と適用
❶「情に流されず、“規範と一貫性”で判断せよ」
– 孔子は最愛の弟子であっても、特別扱いをしなかった。リーダーにとって大切なのは、公平性とブレない軸。
❷「自らを律する姿勢が、組織の規律を作る」
– 自分の息子にすら特別な待遇を与えなかった孔子の姿勢は、リーダーが模範として規律を守ることの重要性を示しています。
❸「個人的な感情と公的な役割を切り分ける」
– 愛情や忠誠心があるのは当然。しかし、それをもって規則をねじ曲げれば、組織全体の信頼性を損なう可能性がある。
8. ビジネス用心得タイトル
「情より節、愛より規律──一貫性が信頼を築く」
この章句は、組織の中で最も難しいとされる「個別の情と全体の原則」の対立に対し、誠実な姿勢で原則を貫いた孔子の態度を描いています。
リーダーとは、**“感情を理解しながらも、それに流されずに公を守る存在”**であるべきだ──
そのような普遍的なメッセージが、ここには込められているのです。
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