説明不要の理解力、それもまた師の喜び
孔子は、愛弟子・顔回(がんかい)のことを語るとき、誇らしさと少しの寂しさをにじませた。
「顔回は私の学問研究を助けるようなタイプではない。なぜなら、私の話すことをすべて即座に理解してしまうからだ」
教師として教えがいのある弟子というのは、疑問を持ち、問い返し、議論を深める存在である。
しかし、顔回は言葉の端から核心を掴み、反論や質問を必要としない。まるで、孔子の言葉がそのまま染み込むように理解されていく。
学ぶ姿勢、吸収力、そして沈黙に込められた納得。
孔子にとって、顔回のような弟子は、問いを介さずとも理解を通じて師に応える存在であった。
引用(ふりがな付き)
子(し)曰(い)わく、回(かい)や、我(われ)を助(たす)くる者に非(あら)ざるなり。
吾(わ)が言(げん)に於(お)いて説(よろこ)ばざる所無し。
注釈
- 回(かい):顔回(がんかい)のこと。孔子が最も愛した弟子の一人。
- 助くる者に非ざるなり:議論や反論などを通じて学問を深める相手ではない、という意味。
- 説ばざる所無し:孔子の言葉に対して、納得しないところが全くない=すべて理解・共感していることを指す。
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