― 油断した瞬間に、学びは手のひらからすり抜ける
孔子は、自らの学問への姿勢についてこう語った。
「私は日々、まるで学びがまだ足りていないかのように努めている。
それほど努力していても、なお、学びを失ってしまうのではと恐れているのだ。」
この言葉には、学びに「完成」や「到達」はないという深い自覚が込められている。
本当に学び続ける人ほど、油断せず、
自分の未熟さを意識し、常に「失うかもしれない」という慎重さを持っている。
それは、知識や技術だけではなく、人としての在り方にも通じる精神である。
原文と読み下し
子(し)曰(のたま)わく、学(がく)は及(およ)ばざるが如(ごと)くするも、猶(な)お之(これ)を失(うしな)わんことを恐(おそ)る。
注釈
- 学は及ばざるが如くする:「まだまだ到達していないように学び続ける」という意味。常に不足を感じる態度。
- 猶お之を失わんことを恐る:それでもなお、「せっかく得たものを失ってしまうのではないか」と恐れる。慢心や怠慢への戒め。
この句には、慢心への警告とともに、一流の人物ほど自らを戒め、精進し続けるという哲学が込められています。
原文:
子曰、學如不及、猶恐失之。
書き下し文:
子(し)曰(いわ)く、学(まな)ぶことは及(およ)ばざるがごとくすれども、猶(なお)之(これ)を失(うしな)わんことを恐(おそ)る。
現代語訳(逐語/一文ずつ訳):
- 「学ぶことは及ばざるがごとくすれども」
→ 学問は、いくら学んでもまだ到達できていないと感じるくらいの姿勢で取り組むべきである。 - 「なおこれを失わんことを恐る」
→ それでもなお、一度得たものを失うことを恐れるべきである。
用語解説:
- 及ばざる(およばざる):到達していない、まだ十分でない。
- 如くする:〜のように振る舞う、〜のように感じる。
- 猶恐(なおおそる):それでもなお恐れる。
- 失之(これをうしなう):得た知識・理解・徳を手放してしまうこと。
全体の現代語訳(まとめ):
孔子はこう言った:
「学問とは、いくら励んでもまだ届いていないかのように謙虚に努めるべきであり、
それでもなお、一度得たものを失ってしまうことを常に恐れるべきだ。」
解釈と現代的意義:
この章句は、**「学びの姿勢は永遠に謙虚であれ」**という孔子の厳しい自己訓戒です。
- **「まだ足りない」**という意識があるからこそ、人は努力し続ける。
- そして、せっかく得た知識・技能・人格・信頼などは、失うこともあると考えるべきである。
つまり、「満足した時点で、退歩が始まる」という、継続的学習と自己省察の大切さを説いているのです。
ビジネスにおける解釈と適用:
1. 「プロでも常に“足りない”と思え」
- 専門職・管理職であっても、「まだ足りない」と思う姿勢が、継続的成長を生む。
- 成熟した組織ほど、学びを止めない風土がある。
2. 「知識・スキルは“維持”より“失わない努力”が重要」
- 新しい学びを追い続けるだけでなく、これまで得た信頼・知見を手放さない意識を持つ。
- 復習・定着・反復のプロセスを軽視しないこと。
3. 「一流は“備え続ける人”」
- トップ営業、熟練技術者、信頼されるリーダーは、油断せず、常に備えている人。
- 「過信しない」「復習する」「振り返る」──これらの姿勢が一流を支える。
ビジネス用心得タイトル:
「学びは尽きず、気を抜けば失う──“まだ足りない”が成長の鍵」
この章句は、現代のリスキリング・継続学習・プロフェッショナルマインドの本質を端的に表しています。
人材育成方針の中心に据えたり、社内学習文化のスローガンとしても非常に有効です。
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