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手段が正しくなければ、成果もまた正しいとは言えない

孔子は、自然や生き物に対しても、節度と道理をもって接した。
魚を獲るときは、必要な分だけを釣りで得るのであって、網を使って根こそぎ捕らえるような貪欲なやり方はしなかった。
また、鳥を捕まえるときも、空を飛ぶ鳥には矢を放つが、巣に宿って無防備な鳥には手を出さなかったという。
これは単なる狩猟のマナーではなく、何事にも“行きすぎ”を慎み、適度を守るという倫理観の表れである。
欲望に任せず、必要なだけを得て、手段にも節度を保つこと――そこに真の品格が宿る。


原文・ふりがな付き引用

子(し)は釣(つ)して綱(あみ)せず。弋(よく)して宿(しゅく)を射(い)たず。


注釈

  • 釣して網せず … 釣りは一本ずつ丁寧に魚を獲る方法。網(綱)は無差別に大量に獲る方法。
  • 弋して宿を射たず … 弋(よく)は矢で鳥を撃つ狩猟法。宿にいる鳥=休んでいる無防備な状態を狙わないという節度。
  • 節度 … 必要以上を求めないこと。力を持っていても行きすぎず、倫理を守る姿勢。
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