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偏らず、過不足なく――中庸こそが最上の徳である

孔子は、人間としての最も理想的な在り方について、こう語った。

中庸(ちゅうよう)の徳――それは過不足なく、極端に走らないバランスの取れた生き方であり、
まさに“至上の徳”といえる。
しかし、それを保ち続けられる人は少なくなり、久しく絶えてしまっているように思える。

「中庸」とは、単なる“妥協”や“中立”ではない。
むしろ、物事を正しく見極め、偏らず、穏やかに、かつ的確に行動する精神の成熟のかたちである。

孔子はこの“中庸の徳”を、至極(しごく)――すなわち最も高く貴い徳としながら、
それが長らく実践されていないことを嘆いている。

極端な言動が注目されやすい世の中だからこそ、本当の強さとは、冷静に、柔軟に、そして一貫して自らを保てることなのだ。


ふりがな付き原文

子(し)曰(いわ)く、
中庸(ちゅうよう)の徳(とく)たるや、其(そ)れ至(いた)れるかな。
民(たみ)、鮮(すく)なきこと久(ひさ)し。


注釈

  • 中庸(ちゅうよう):過不足なく、偏りのない精神。孔子の理想とする「徳」の中でも最も高く位置づけられる。
  • 至れる(いたれる):この上なく高い、完成されたという意味。
  • 鮮(すく)なし):ほとんどいない、まれである。
  • 久し(ひさし):長いあいだ続いている状態を表す。ここでは「中庸を実践する人が長らくいない」という嘆き。
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