孔子は弟子・顔回(がんかい)について、何度も深い敬意をもって語っているが、ここでもその人柄を賞賛してこう述べた。
「顔回は本当に立派な人間だ。
一簞(いちたん)の粗末な食事、一瓢(いっぴょう)の水で暮らし、狭くて汚い路地裏の家に住んでいる。
普通の人ならそのような生活には耐えられず、愚痴や不満ばかりになるだろう。
しかし顔回は、そんなことには一切心を乱されず、変わらずに学び、修養に励み、そのことを喜びとして生きている。
本当に賢い奴だ、顔回は」
ここで孔子が語っているのは、物質的な豊かさよりも、心の充実と志の持続の大切さである。
環境に左右されず、自らの使命に静かに打ち込み続ける姿勢。
それは派手ではないが、強く、深く、他の誰よりも尊い。
「何を持っているか」ではなく、「何に生きているか」。
人生の価値はそこにある――そう孔子は教えてくれる。
ふりがな付き原文
子(し)曰(いわ)く、賢(けん)なるかな回(かい)や。
一簞(いちたん)の食(し)、一瓢(いっぴょう)の飲(いん)、陋巷(ろうこう)に在(あ)り。
人(ひと)は其(そ)の憂(うれ)いに堪(た)えず、
回(かい)や其の楽しみを改(あらた)めず。
賢なるかな回や。
注釈
- 顔回(がんかい):孔子が「最も仁に近い」と評した弟子。貧しくとも徳を守り続けた人物。
- 簞(たん):竹製の器に入れた少量の飯。
- 瓢(ひょう):ひょうたんで作った器。粗末な食器の象徴。
- 陋巷(ろうこう):狭く、汚く、貧しい町の裏通り。
- 其の楽しみを改めず:志を曲げず、修養や学問を楽しむ姿勢を崩さないこと。
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