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憎むべきは悪そのものであって、人ではない

目次

過去を引きずらず、怨みに囚われぬ心が、徳を生む

孔子は、殷から周へと王朝が移る激動の時代において、節義を守って餓死した伯夷と叔斉について次のように語った。
「彼らはたとえ不正を見ても、その不正を働いた人そのものを憎むことはしなかった
また、過去の悪事をいつまでも根に持つようなこともなく、怨みに生きることがなかった
だから、彼ら自身も人から怨まれるようなことがなかったのだ」と。

ここで孔子が称賛したのは、**「悪を悪として明確に認識しながらも、それに囚われず、人を赦す姿勢」**である。
怒りや憎しみは、自分の内に長くとどめると、心を蝕み、周囲との関係も損ねる。
しかし、伯夷・叔斉のように、過去に固執せず、潔白さを保ちながらも寛容であろうとすることが、真に高潔な人の道だという。


原文とふりがな付き引用

子(し)曰(いわ)く、伯夷(はくい)、叔斉(しゅくせい)は旧悪(きゅうあく)を念(おも)わず。
怨(うら)み、是(これ)を用(もち)いて希(まれ)なり。

過去の悪を引きずらず、人を憎まずに生きる。
それこそが、徳のある人の品格である。

原文

子曰、
「伯夷叔斉、不念舊惡、怨是用希。」

書き下し文

子(し)曰(い)わく、
「伯夷(はくい)、叔斉(しゅくせい)は、旧悪(きゅうあく)を念(おも)わず。
怨(うら)み、是(こ)れを用(もっ)て希(まれ)なり。」

現代語訳(逐語・一文ずつ訳)

「子曰、伯夷叔斉、不念舊惡」

→ 孔子は言った。「伯夷と叔斉は、過去に受けた悪をいつまでも思い出すようなことをしなかった。」

「怨是用希」

→ 「だからこそ、彼らには怨みの心がほとんどなかった(また、他人からも怨まれることがほとんどなかった)。」


用語解説

  • 伯夷・叔斉(はくい・しゅくせい):殷末から周初にかけての義人の兄弟。周による殷の滅亡に異議を唱え、首陽山に隠れ、ついには餓死したという高潔な逸話を持つ人物。孔子がたびたび称賛する理想的人格者。
  • 旧悪(きゅうあく):過去に他人から受けた悪事、あるいは過失。
  • 怨(うらみ):恨みや復讐心。
  • 希(まれ)なり:ごく少ない、まれにしかないこと。

全体の現代語訳(まとめ)

孔子はこう言った:
「伯夷と叔斉は、他人の過去の悪事をいつまでも根に持たなかった。
そのため、彼らは他人を恨むことも、また他人から恨まれることも非常に少なかった。」

解釈と現代的意義

この章句は、**「寛容」「無私」「赦しの精神」**こそが高潔な人格の要素であることを教えています。

  • 伯夷・叔斉は、たとえ自らが被害を受けても、それを「怨み」に転化せず、「赦す力」を持っていた。
  • そのような態度が、他人からの怨みをも回避し、人間関係を円満に保つ秘訣となっている。
  • 孔子はここで、「知」や「勇」ではなく、“徳”としての寛容性・包容力を理想的人格として評価している。

ビジネスにおける解釈と適用

「過去の失敗や過ちをいつまでも引きずらない」

他人の過去のミスや失言を執拗に責めるのではなく、「赦し」「次の機会を与える」ことが、信頼と協調の文化を生む。

→ “赦す力”があるリーダーは、人望を集め、チームの持続的成長を促す。

「恨まない人は、恨まれない」

復讐心や対立にとらわれず、寛大な態度で接する人は、自然と周囲の敵意や悪意を遠ざける。

→ 長期的な人間関係の構築には、“勝つ”より“和す”が重要。


まとめ

「赦す人に怨みなし──寛容の徳が信頼を育てる」

この章句は、「怒りを制し、過去を水に流すこと」が、真の人格者に共通する特徴であることを、伯夷・叔斉の逸話を通して教えてくれます。
組織運営・人間関係・リーダーシップにおいて、寛容であることは決して弱さではなく、むしろ最大の強さであるという普遍的な教訓です。

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