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思慮は大切、だが動かなければ意味がない

考えることが美徳でも、過ぎれば判断力を鈍らせる

魯の大夫・季文子(きぶんし)は、何事にも慎重で、「三思(さんし)=三度も思案した上で実行する」と言われていた。
これを聞いた孔子は、「そこまで思い悩む必要はない、二度考えれば十分だ」と述べた。

これは、慎重さを美徳としながらも、考えすぎて行動が遅れたり、決断力を欠いてしまうことへの戒めである。
孔子の思想では、「知(判断力)」と「行(実行力)」はどちらか一方では不完全であり、バランスを保つことが大切とされる。
一度の思案は軽率、三度の思案は過剰――その**中庸(ちゅうよう)**に位置する「二度の思案」が、最適な判断とされるのだ。


原文とふりがな付き引用

季文子(きぶんし)、三思(さんし)して後(のち)に行(おこな)う。
子(し)、之(これ)を聞(き)きて曰(いわ)く、再(ふたた)びせば斯(これ)可(か)なり。

考えることに価値はある。
だが、動くことによってのみ、それは生きる。


注釈

  • 季文子(きぶんし)…魯の大夫。名は行父(こうほ)、季孫氏の三代目当主。「文子」は諡(し)号。温厚・慎重で知られる人物。
  • 三思(さんし)…何度も熟考すること。ここでは「考えすぎ」として批判的なニュアンスを含む。
  • 再(ふたたび)せば可なり…「二度考えれば十分」という意味。考えすぎによる逡巡や行動の遅れを戒める。
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