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知とは、礼をわきまえることにあらわれる

形式を守ることは、知恵と品格のあらわれである

孔子は、魯の大夫・臧文仲(ぞうぶんちゅう)について、「知者だと評されているが、私はそうは思わない」と言い切った。
その理由は、臧文仲が礼をわきまえず、本来諸侯だけが使用を許された亀卜(きぼく)用の大亀を私用し、
また、宗廟の建築装飾において本来なら控えるべき派手な装飾(柱に山の彫刻や藻の文様)を施していたことにあった。

これらは一見、美的・宗教的な行いに見えるかもしれないが、当時の「礼」では身分相応の節度あるふるまいこそが、知と徳の証だった。
つまり孔子は、「知者」とは単に学識や弁が立つ人ではなく、分を守り、節度と規律の中で行動できる人こそが真に賢い人間だと見ていたのである。


原文とふりがな付き引用

子(し)曰(いわ)く、臧文仲(ぞうぶんちゅう)は蔡(さい)を居(お)き、節(ふし)に山(やま)し、梲(うつばり)に藻(も)す。
何(なん)ぞ其(そ)れ知(ち)ならんや。

知者とは、知識の多さではなく、
礼をわきまえる姿にその本質があらわれる。


注釈

  • 臧文仲(ぞうぶんちゅう)…魯の大夫。姓は臧孫、名は辰。字は仲。文は諡。表面的には名臣とされていたが、孔子の目には礼を逸脱していた。
  • 蔡を居く(さいをおく)…卜占(ぼくせん)のための大亀を置くこと。本来は天子や諸侯の専権。
  • 節に山す(ふしにやます)…宗廟の柱の節に山の意匠を彫ること。身分に見合わぬ装飾。
  • 梲に藻す(うつばりにもす)…小梁に藻の模様を施すこと。これも礼に反する行い。
  • 孔子の批判は、「形にあらわれた驕慢」が「内面の未熟」を露呈しているという洞察に根ざしている。
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