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志が仁に向かう者に、道を踏み外す心はない

目次

人格を高めるという決意が、人をまっすぐに導く

孔子は、行動を正すのに先立って「志のありか」を問うた。

もし人が本気で仁――つまり他者への思いやりや誠実さを追求しようとしているなら、その人は自然と悪から遠ざかるという。

人は時に誘惑や混乱に揺れるが、志を仁に定めていれば、たとえ迷っても大きく道を外れることはない。

仁を目指すという心の向きが、そのまま人を律し、支える軸となる。

善悪の判断力も、行動の品格も、「志」の純度によって決まるのだ。

仁を志す者には、悪をなす余地がない。
その志が行動のすべてを方向づけるからだ。

原文

子曰、惟仁者能好人、能惡人。

書き下し文

子(し)曰(いわ)く、惟(た)だ仁者(じんしゃ)のみ、人(ひと)を好(この)み、
人を悪(にく)むこと能(よ)くす。

現代語訳(逐語・一文ずつ)

  • 「子曰く、惟だ仁者のみ、能く人を好む」
     → 孔子は言った。「真に人を愛することができるのは、仁のある人だけだ」
  • 「能く人を悪む」
     → 「そしてまた、正しく人を憎むことができるのも、仁のある人だけである」

用語解説

用語解説
惟(ただ)〜だけが。限定を示す副詞。
仁者(じんしゃ)仁(思いやり・誠実さ・道徳的愛)を体得した人。
好む(このむ)ここでは、倫理的に正しく人を「愛する」「親しむ」こと。
悪む(にくむ)嫌う、憎む。ここでは道義的に「誤りを見抜いて正しく批判する」意味。
能くす〜することができる、能力があるという意。

全体の現代語訳(まとめ)

孔子はこう語った:

「本当に人を愛することができるのは、仁を備えた人だけである。
同様に、本当に正しく人を憎むことができるのも、仁のある人だけなのだ」

解釈と現代的意義

この章句は、「感情の根拠となる徳」が問われるという極めて深い人間理解を語っています。

  • 「好き嫌い」は誰にでもあるが、道徳的に正しい“好悪”は仁者にしかできない
  • 単なる感情ではなく、「善悪・正邪を見極めて、正しく人を評価すること」ができるのは仁者
  • 仁者は、好きになるべき人を好きになり、戒めるべき人を正しく戒めるので、私情に流されない。
  • これは、**「愛憎にも徳の裏付けが必要」**であるという孔子の深い倫理観を示しています。

ビジネスにおける解釈と適用

「好き嫌いではなく、“仁”に基づいた人間評価を」

  • 感情で部下を評価したり、付き合う相手を選ぶと、組織が歪む。
  • 誠実さ・努力・信頼感などの“仁的価値”に基づいて人を判断する視点が、真に公正なマネジメントを可能にする。

「正しく叱る・嫌うことも“仁”のうち」

  • 間違った行為を指摘するのをためらってはいけない。
  • 本当に相手のためを思えば、誠実に注意・批判することも“仁”の行為である。

「リーダーは“好悪”を公正に扱える器量が問われる」

  • 仁者の“好悪”は、私情ではなく倫理的判断に基づく
  • 好きな人にだけチャンスを与え、嫌いな人にだけ厳しく接するのは、未熟なリーダーの証。
  • 人を見る目=愛し方と戒め方のバランスが重要。

まとめ

「好き嫌いに仁の軸を──正しく愛し、正しく戒める人が真の信頼を得る」

この章句は、私たちが日々行う「人との接し方・評価・態度」に、感情ではなく“仁”という徳に基づいた視点を持てという教訓です。

現代においても、リーダー・管理職・教育者・親など「人を扱う立場にある者」は、
人間的な愛と厳しさを、正しく使い分けられるだけの“仁の深さ”が求められているのです。

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