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礼は力の誇示ではなく、心を尽くすものである

弓射(きゅうしゃ)の競技では、本来、的の「皮(かわ)」を貫くかどうかは重視されなかった。
なぜなら、人にはそれぞれ力の強さの違いがあり、それを比べることは礼の本質ではないからである。
しかし、時代が下るにつれて「いかに的を貫くか」が勝敗の基準となり、礼は力比べの場へと変わってしまった。
孔子はこの風潮を嘆き、礼とは本来「競うためのもの」ではなく、「心をこめて行うもの」であると諭した。

「射(しゃ)は皮(かわ)を主(しゅ)とせず。力(ちから)を為(な)すに科(か)を同(おな)じくせず。古(いにしえ)の道(みち)なり」

真の礼は、力の優劣では測れない。心を尽くす姿勢こそが、人を敬い、己を磨く礼の本道である。


※注:

  • 「射(しゃ)」…弓を射る礼式的競技。単なるスポーツではなく儀礼の一つ。
  • 「皮」…的の表面。これを貫くか否かに勝敗を求めるのは、本来の礼から逸脱している。
  • 「科を同じくせず」…人は力に差があるため、一律には比べられないという意味。
  • 「古の道」…古来の本来のあり方。
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