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地位があろうと、礼を破る者は裁かれる

いかに権力を持つ者であっても、してはならないことをすれば、それは非礼であり、破廉恥である。
季氏が天子のみが行うべき泰山の祭祀「旅(りょ)」を行おうとしたとき、孔子は家臣である弟子・冉有に制止できないかと問いかけた。
冉有が「無理です」と答えると、孔子は深く嘆いた。礼を正しく知ろうとする林放のような弟子がいるというのに、泰山の神がこの非礼を見逃すはずがないと。
地位や立場に関係なく、「やってはいけないこと」は、やってはいけないのだ。

「季氏(きし)、泰山(たいざん)に旅(りょ)す。子(し)、冉有(ぜんゆう)に謂(い)いて曰(い)く、女(なんじ)救(すく)う能(あた)わざるか。対(こた)えて曰く、能わず。子曰く、嗚呼(ああ)、曾(かつ)て泰山は林放(りんぽう)に如(し)かずと謂(い)えるか」

形式ではなく、道理を知り、分をわきまえること――それが、真に礼を重んじる者の姿である。


※注:

  • 「旅(りょ)」…泰山での祭り。天子にのみ許された国家的な宗教儀礼。
  • 「季氏」…魯の大夫。孔子がたびたび非礼を批判した権力者。
  • 「冉有(ぜんゆう)」…孔子の弟子で季氏の家臣を務めた。穏やかな性格で、政治にも携わった。
  • 「林放(りんぽう)」…礼の根本を孔子にたずねた弟子。形式より本質を学ぼうとした姿勢が評価された。
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