人として、また社会の一員として守るべき「礼」を軽んじる者は、やがてすべての境界を越えてしまう。
季氏はただの大夫でありながら、天子だけが行えるはずの八佾の舞を自邸で催した。
そのような越権行為を平然と行える者は、他のどんな悪事も、ためらわずにやってしまうに違いない。
礼を無視するということは、根本的な節度と秩序を放棄することなのだ。
「八佾(はちいつ)を庭(にわ)に舞(ま)わす。是(これ)にして忍(しの)ぶべくんば、孰(いず)れをか忍ぶべからざらん」
礼を破る者は信をも破る。品位を欠いた行為は、その人の本質を映すものである。
※注:
- 「季氏」…魯の大夫・季孫氏。権力を持ち、孔子がたびたび批判した対象。
- 「八佾(はちいつ)」…舞楽の隊列。一佾は8人で、八佾は64人。天子にしか許されない規模。
- 「庭に舞わす」…宮廷でなく私邸で行うことで、重大な礼の逸脱とされる。
- 「忍ぶ」…平然と行う、ためらわず実行するという意味。
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