世には、「偉い人」と称される者がある。
その人の中には、性格に多少の欠陥があろうとも、
なお余りある一芸・一徳・一能によって、
人の上に立ち、世に名を残す者がいる。
その偉さは、確かに世の進歩を促し、
新しき道を切り拓く力ともなろう。
余もまた、かかる非凡の士の輩出を望まぬものではない。
しかし、それ以上に望むものがある。
それは――常識ある人の多きことである。
完き人とは、必ずしも天才にあらず。
智(知性)・情(感情)・意(意志)、
この三者が円満に備わり、
偏らず、乱れず、人としての節度と調和を備えた者。
それこそが、真の常識人である。
常識ある人は、己を過たず、他を害せず、
地に足つけて、着実に務めを果たす。
それは、国の根を養い、社会の風を正す。
一人の偉人よりも、千人の常識人が国を支える。
その日々の誠実な行いが、世を穏やかに、
人を和やかにする。
ゆえに、余は願う。
偉さに憧れる前に、常識を養え。
日々を正し、分を守り、他を敬し、己を律する者。
そのような常識人が、世に満ちることを切に望む。偉さより、まず常識を持て
○偉い人は人間の具有すべき一切の性格に仮令欠陥があるとしても、その欠陥を補って、余りあるだけ他に超絶した点のある人で、……完き人は、智情意の三者が円満に具足した者、すなわち常識の人である。余はもちろん、偉い人の輩出を希望するのであるけれども、……常識の人の多からんことを要望する
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