この世界には、無数の「喜び」がある。
美味しい食事、楽しい交流、所有する満足感――
それらは人生を豊かにし、ときに生きる張り合いを与えてくれる。
だが、どこかで気づくこともある。
**「それだけでは、心の奥が満たされない」**ということに。
食べても食べても、なお残る渇き。
集めても集めても、なお募る不安。
楽しさを追えば追うほど、次なる刺激を欲しがる心。
そんなとき、人は静かに問うようになる。
「自分は、何をすべきなのか?」
その問いに答えるのが、**ダルマ(義務・法・調和)**である。
ダルマとは、**「やりたいこと」ではなく「やるべきこと」**を行う生き方である。
それは、自分の好みに関係なく、
目の前の状況に対して、誠実に応答する態度である。
たとえ面倒でも、頼られたら手を差し伸べる。
たとえ苦手でも、自分に課せられた役割に責任を持つ。
それが、感情に流されずに「調和をもって生きる」ということだ。
『ギーター』は言う。
「執着なく、なすべき行為を遂行せよ。そうすれば、人は最高の存在に達する」(第3章19節)
ここでの「最高」とは、地位や名声のことではない。
**「迷いなく、自分の道を歩いている状態」**のことである。
そして、他人の道に手を出してはいけない。
「他者の義務を行うことは危険である。
たとえ不完全でも、自分の義務に従って生きることが尊い」(第3章35節)
人それぞれに与えられた人生がある。
どのような家庭に生まれ、どんな環境で育ち、どんな役割を担うか――
それは、偶然ではなく、**世界の秩序(イーシュヴァラ)**によって配置された流れである。
その中で、自分がやるべきことがある。
喜びの時も、試練の時も、その義務から逃げずに取り組むこと。
それが、自分という存在と世界とを調和させる道である。
アルジュナもまた、戦場で悩んだ。
「戦いたくない」と思った。だが、彼のダルマは、王族として国家を守ることだった。
その葛藤のなかで、彼はクリシュナに問う。
「私は何をすべきなのか? どちらが正しいのか、はっきり教えてくれ」(第2章7節)
この問いは、私たち一人ひとりの心にもある。
だが、『ギーター』が教えるのは、こうである。
「自分が果たすべき義務に向き合い、執着せず、誠実にやりきれ」
「それが、あなた自身の生を完成させる道である」
やるべきことをやりきったとき、人は初めて、心の底から静けさを得る。
満たされるのは、欲望ではなく、納得である。
その納得こそが、人生における真の「しあわせ」なのだ。
それ故、執着することなく、常に、なすべき行為を遂行せよ。実に、執着なしに行為を行えば、人は最高の存在に達する。(第 3章 19節)
自己のダルマの遂行は、不完全でも、よく遂行された他者の義務に勝る。自己の義務に死ぬことは幸せである。他者の義務を行うことは危険である。(第 3章 35節)
悲哀のために本性をそこなわれ、義務に関して心迷い、私はあなたに問う。どちらがよいか、私にきっぱりと告げてくれ。(略)(第 2章 7節)
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