人は、決めたことを守り通すことに困難を感じる。
「早起きをしよう」「食べすぎをやめよう」「日々の学びを続けよう」
そう決意したとしても、
翌朝には眠気が勝り、空腹には負け、怠け心がささやき始める。
「今日だけはいいか」
「続けても意味があるのか」
「また今度から始めよう」
これらは、感情の声である。
感情は常に変わる。昨日の情熱も、今日の眠気の前ではかき消されてしまう。
この浮き沈みを超えて、「やるべきこと」をやりぬく――
これが**タパス(苦行)**である。
愛執、恐怖、怒りを離れ、私に専念し、私に帰依する多くの者は、知識という苦行(熱力)によって浄化され、私の状態に達する。(第 4章 10節)
タパスとは、激しい苦行や極端な修行のことではない。
「自分で決めたことを、理性の力でやりぬくこと」
それがタパスの本質である。
粘土は、そのままでは器として用をなさない。
火にくぐらせてはじめて、水にも耐えうる強さを得る。
同じように、人間の心も、決意と行動の熱によって焼かれ、鍛えられてこそ、
知恵や真理を受けとめられる器となる。
『バガヴァッド・ギーター』は語る。
「知識という苦行によって浄化された者は、私の状態に至る」(第4章10節)
ここでの「苦行」とは、
日々の中で、意志を灯し、地道に自分を調えていくことを意味する。
タパスは、極端である必要はない。
「食べすぎず、食べなさすぎず」「眠りすぎず、眠らなさすぎず」
食べすぎる者にも、全く食べない者にも、睡眠をとりすぎる者にも、不眠の者にも、ヨーガは不可能である。(第 6章 16節)
穏やかで持続可能な習慣の中にこそ、本当の鍛錬はある。
熱心さは必要だが、自己否定や無理は道を外らせる。
タパスとは、自分を苦しめることではない。
**「自分の弱さに負けない習慣を積み重ねること」**である。
それによって、
自分という容れ物が整い、
知識が定着し、
内側に静かな炎が灯るようになる。
意志の火で焼かれた器は、揺れない。
感情に動かされず、迷いに翻弄されず、
ただ淡々と「やるべきこと」をやり続ける力を宿す。
それが、知識を生かし、自由へと向かう準備となる。
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