人生は、常に「二つのあいだ」で揺れ動いている。
暑さと寒さ、快と不快、正と誤、成功と失敗――
こうした**ドヴァンドヴァ(二つの対立)**が、私たちを迷わせ、苦しませる。
「お腹が空いたが、健康が気になる」
「夢に挑戦したいが、安定を捨てられない」
「自由がほしいが、孤独は避けたい」
私たちは、日常のささいな選択から人生の決断に至るまで、
常に**スカ(喜び)とドゥッカ(苦しみ)**の両極のはざまで引き裂かれている。
『バガヴァッド・ギーター』は語る。
「寒暑・苦楽は無常である。それに耐えよ、アルジュナ」(第2章14節)
しかしクンティーの子(※アルジュナのこと)よ、物質との接触は、寒暑、苦楽をもたらし、来たりては去り、無常である。それに耐えよ、アルジュナ。(第 2章 14節)
この言葉は、「耐えること」を説いているのではない。
むしろ、「揺れに巻き込まれることなかれ」と言っているのである。
私たちが悩み、怒り、恐れ、執着するのは、「快を求め、苦を避ける」ことに心がとらわれているからだ。
感覚は自らの性質に従い、「好き・嫌い」を抱く。
「好き」を得たい、「嫌い」は避けたい――この衝動が心を波立たせる。
しかし、この「好き・嫌い」もまた、自らの記憶、性質、経験によって形づくられたものに過ぎない。
つまり、「自分が作り上げたもの」であるということだ。
理性で好き嫌いを消そうとしても、それは無理に蓋をするだけで根本は変わらない。
だが、それが「自分が作ったもの」だと知るならば、自然と距離が生まれる。
それが、『ギーター』の伝えるブラフマンの知識である。
自分は、変化する好悪に振り回される存在ではない。
自分は、波のように揺れる感覚の奥にある「変わらぬ意識(アートマン)」である。
その理解が深まれば、目の前の対立もまた、過ぎゆく現象に過ぎないと知ることができる。
「自分と他人」
「正しさと間違い」
「勝ちと負け」
そのどちらでもない場所から物事を見つめる眼差しが、苦しみを超えていく智慧となる。
対立を解決しようとするのではなく、対立の外側に立つこと。
それが、『ギーター』の知性であり、真の平穏である。
感官(※感覚器官)には、それぞれの対象についての愛執と憎悪が定まっている。人はその二つに支配されてはならぬ。それらは彼の敵であるから。(第 3章 34節)
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