人は、自分ではないものを「自分」だと信じやすい。
外見、地位、所有物、肩書、評価――それらはすべて一時的なものでありながら、人はそこに自分を重ねてしまう。
「私は若々しい」「私は社長である」「私はこれを持っている」。
その言葉の裏には、「それがなくなれば自分も失われる」という不安が潜んでいる。
この結びつきが強くなればなるほど、人は「それを守らねば」と執着を深め、心はかえって縛られていく。
インド哲学が説くのは、そうした自己認識は根本から誤っているということ。
真の自己とは、変わるものではなく、変わるものを見ている存在。
感情も、思考も、肉体も、役割も、どれもが移ろいゆくものであり、本質ではない。
『バガヴァッド・ギーター』のアルジュナが苦しみに沈んだのも、「自分はこの苦しみである」と信じてしまったからだ。
その瞬間、知性は曇り、判断は揺らぎ、身動きが取れなくなる。
これは、誰にでも起こることである。感情や状況に巻き込まれ、「自分」を見失えば、人は必ず迷う。
だからこそ、自らを何と結びつけているかに、常に気づいていなければならない。
自分とは何か。
それを他の何かに仮託し続ける限り、心は常に不安定であり、真の静けさには届かない。
自己とは、見る者、知る者、在る者――アートマンそのものである。
それを忘れたとき、苦しみは始まり、それを思い出したとき、解放が訪れる。
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