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心に呑まれず、心を観る者たれ(アートマン)

私たちは、心の動きを知覚することができる。
「落ち込んでいる」「興奮している」と感じるとき、そこには感じている“自分”とは別に、感じている心を“見ている自分”が確かに存在している。
このことが示すのは、「私=心」ではないという事実である。

インド哲学では、この“観ている存在”を「アートマン」と呼ぶ。
アートマンは変わらず、静かに、ただ観る者。
一方、心は絶えず揺れ動き、変化し、あらゆる感情や思考を生み出す器官である。

心は4つの機能からなる。
**アハンカーラ(自我意識)**は、「私」と「それ以外」とを分けるはたらき。
**マナス(感情)**は、快・不快を基準に反応するはたらき。
**ブッディ(知性)**は、知と判断を司るはたらき。
**チッタ(記憶・純粋な心)**は、経験を蓄え、潜在意識を形づくる。

この4つが混ざり合い、そのときどきの「心の色合い」が生まれている。
心が青ければ青く、赤ければ赤く――人はその都度、その色に染まりがちだ。

しかし、色に染まることと、それを見ている自分とは別である。
心に呑まれるな。心を操作しようとする前に、まず心を観よ。
心の動きに距離を持ち、アートマンの視点から見つめるとき、人はようやく「自分とは何か」を問うことができる。

心に振り回されず、心と共に在る力を養え。

※アートマン:意識の源、真我、至高の自我

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