会社が倒産した場合、その責任を負うのはただ一人、社長だけだ。この事実は、会社が実際に倒れる瞬間に明確になる。
どんな状況であれ、社会の批判と責任追及は必ず「社長ただ一人」に向けられる。それは、大企業が倒産した際の例を見ても明らかだ。どれほどの規模の企業であっても、批判の矛先は常に社長に集中する。これまで、副社長や専務が責任を追及された例など一度も見たことがない。
マネジメント理論というものは、この現実を全く理解していない、極めて危うい理論だ。その理由は、経営の実態を知らない者たちが作り上げたものであるからだ。具体的な例を挙げて考えてみよう。
ある日、私の自宅に地方で事業を営む一人の社長が相談に訪れた。彼は映画館、喫茶店、そして銘酒コーナーの三つの事業を抱えており、その中で映画館と喫茶店は黒字経営。しかし、銘酒コーナーだけが赤字続きで、その赤字額が年々拡大しているという。現状では、映画館と喫茶店の利益をすべて赤字補填に充てても追いつかず、このままでは会社全体が赤字に転落してしまう。どうすればいいのか、という切実な相談だった。
これまでにどのような対策を講じたのか尋ねると、「値上げを考えたが、社員に相談したところ、『そんなことをすればお客様が来なくなる』と反対され、結局値上げもできないままだ」とのことだった。初対面の社長ではあったが、私は迷わずはっきりと断言した。
「いったい誰が社長なのか。このままでは会社は倒産する。倒産すれば、その責任はすべてあなたが負うことになる。だからこそ、社長であるあなたが、自らの責任と意志で会社を救うための手を打たなければならないのだ。」
「値上げ以外に手がないのなら、それを実行するのが社長の役目だ。倒産しても責任を負う必要のない社員の意見に従うこと自体が間違っている。会社を守るためには、社長自らが決断し、行動しなければならない。」
社長である以上、自らの意志で値上げをワンマンで決定するべきだ。社員に相談するのではなく、まず自分で決断を下す。そしてその後に社員を集め、値上げを正式に宣言する。さらに、なぜ値上げが必要なのか、その理由を一つひとつ丁寧に噛み砕いて説明するのが社長の務めだ。
「値上げをすればお客様が減るリスクがある。そのリスクを最小限に抑えるには、お客様サービスを向上させるしかない。そのためには、社長である自分が先頭に立って努力する。だから、諸君も一緒に力を尽くしてほしい。そして、何か良い方法があれば、遠慮なく私に提案してほしい」と頭を下げ、社員に協力を要請する。それが本来の社長の姿だ。
それすらもせず、社長の座に胡坐をかき、何の決断も下せないまま、本来相談すべきではない社員に意見を求め、反対されたからといって値上げすら実行できないのであれば、もはや社長の資格はない。そんな状態であれば、さっさと社長を辞めるべきだ――私はそう断言した。
しばらくしてから、「銘酒コーナーはやめました」という連絡を受けた。これが正解だ。そもそも、銘酒コーナーのような事業は成り立つはずがない。これを企画したり賛成したりした酒造会社の社長たちは、事業経営をまったく理解していないと言われても、反論の余地はないだろう。
酒の宣伝のために酒を安く売るという銘酒コーナーの発想自体が間違っている。銘酒コーナーにも人件費や経費がかかるのは当然だ。もし酒を安く売れば、その分だけ収益は減少する。これを施主が補填するなら話は別だが、もしそれがなければ、収益を補うためには大量に酒を売るか、サカナを高く売るしかない。サカナを高くすれば、酒を安くしても、お客様にとっては結局、飲み代が安くならない。最初から、銘酒コーナーのような事業が成り立つはずがないのだ。
私が指摘したいのは、「何事も部下と相談して決めなければならない。これをやらないワンマン経営は誤りである」というマネジメントの基本思想だ。しかし、この考え方には次のような問題があるということだ。
「会社が倒産した場合、全責任を一人で負わなければならない社長であっても、自らの意志と責任でワンマン決定をしてはいけない。会社が倒産しても、全く責任を負わない社員の意見を聞かなければならない」となってしまうことになる。
これほど根本的に間違った思想はない。マネジメントの権威者と称する者たちは、実際に事業経営を全く理解していないのだ。
決定権とは、結果に対して全責任を負う者だけが持つべき権利である。決定権を持つ社長は、社員の意見を聞くかどうかをその必要性に応じて判断すればよい。特に、重大な決定については、社員に相談することなく社長が自ら判断しなければならない。
企業の存続と成長において、最も重い責任を負うのは社長である。事業が失敗し、会社が倒産に至った場合、あらゆる批判と責任の矢面に立つのは社長ただ一人だ。副社長や専務が責任を追及されることはほとんどなく、責任は最終的に経営トップである社長に集中する。それゆえ、経営における重要な決定権を持つのも、また社長であるべきだ。
例えば、ある地方で映画館や飲食店を経営する社長が、赤字事業である銘酒コーナーをどうすべきかと悩み、社員に値上げを相談したところ反対され、結局何も決められなかったという状況があった。こうした事例は、経営の責任が誰にあるかを見失っている典型だ。銘酒コーナーの赤字が会社全体を危機に追い込んでいるにもかかわらず、社員の意見に引きずられた結果、事業が改善する見込みが失われたのだ。
経営とは、重大な決定をする場面でこそ社長が自らの責任で行動することであり、社員に責任を伴わない意見を求めて流されることではない。社員の意見を聞くことは、実行段階や改善策を見つける場面で役立つが、企業の命運を左右するような決定は社長自身が行うべきだ。特に、リスクを伴う決定であればなおさら、全責任を負う立場の社長が自らの意志で導く必要がある。
この考え方は、マネジメントの理論で推奨される「相談型経営」とは一線を画している。マネジメントの観点では、部下やチームと話し合いを通じて合意形成を行うことが望ましいとされる。しかし、経営の現場では、この考え方が必ずしも現実に合致するわけではない。倒産の危機に瀕する場面でさえ、社員の意見に依存して意思決定を行ってしまえば、経営の責任を果たせないどころか、組織全体が迷走するリスクが生じる。
結局のところ、経営の決断とは、全責任を背負う立場の人間だけが持つべき権限だ。「責任を負わない者の意見が経営判断を左右するべきではない」というのが、経営の本質である。この意味で、社長が社員に相談しない「ワンマン経営」は必ずしも誤りではない。むしろ、事業の生存戦略を遂行するために必要な意思決定をするという観点で捉えれば、社長が単独で決定を下すことが、企業にとって最も有益な選択となる場合も多いのである。
重大な局面では、社長が責任を背負い、迅速かつ果断に決定を下し、事業の舵を取る覚悟が求められる。そしてこの覚悟こそが、会社の命運を握る「決定権」の重みなのである。
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