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お客様の要求に合わせる

S社は冷凍食品を製造する企業だ。年々上昇する賃金や人手不足に直面し、厳しい状況の中でなんとか経営を続けていたが、業績は下降の一途をたどり、ついに赤字に転落してしまった。追い詰められた社長は、私に助言を求めてきた。

社長の最大の関心事はコストの削減だった。時間があれば工場に足を運び、材料の歩留まり改善、稼働率の向上、冷凍庫の効率的な利用といった課題に精力的に取り組んでいた。

「お得意様のところへ行くことはあるのか」と尋ねてみると、そんなことはやっていないという。顧客に目を向けず、ただ作ることだけを考えている企業を、私は「会社」ではなく「工場」と呼んでいる。こうした状況を放置すれば、いずれ会社は立ち行かなくなるだろう。

設備をフル稼働させた場合の損益を計算してみたところ、それでも赤字になることが判明した。この結果を社長に示し、コスト削減や効率改善だけでは会社を救えない現実を、まず理解してもらった。

では、どうすべきか。私が提案したのは、主力商品であるシュウマイを高級化し、付加価値を高めて高価格で販売する戦略だった。この提案は、単に「安いものが売れないなら高いものを売ればいい」という発想ではない。顧客のニーズに真摯に応えた結果として、高級化が必然となるという考えに基づいている。

顧客の要求は年々高級化していく。それを可能にしているのが個人所得の上昇だ。所得が増えても生活費はそれに比例して増えるわけではない。そのため、所得から生活費を差し引いた部分、いわゆる「自由裁量所得」が所得全体に占める割合は年々高くなっていく。自由裁量所得が少ないうちは、その大半が貯蓄に回る傾向がある。

しかし、自由裁量所得が増えるにつれ、貯蓄に回る割合は減少し、その分が消費に向かうようになる。この消費は、生活必需品ではなく、自分が欲しいものや楽しみたいもの、高級品、趣味、レジャーといった分野に向けられる。それだけでなく、生活費そのものにも影響を及ぼし、より質の高い商品やサービスを求めるようになる。こうして、消費者のニーズは年々質的にも量的にも高級化し続けていく。

例えば、メロンやパイナップルといった高級果物は、かつてデパートや一流店でしか見かけない特別な存在だった。しかし、今では普通の果物屋でも当たり前のように並んでいる。同様に、花屋の店先からは、小菊や金蓋花のような安価な花が姿を消し、高価格帯の花が主流となった。石鹸に関しても、百円以上する高級品は需要が高く生産が追いつかない一方で、百円以下の石鹸は売れ残る状況が続いている。

スーパーで扱う衣料品は高級品とは言えないが、それでも年々「値頃」、つまり一番よく売れる価格帯が確実に一割ずつ上昇している。さらに、以前はよく見かけた三百円以下のスリッパも、今ではほとんど見られなくなってきた。このように、日常的な商品であっても、徐々に高価格帯の需要が増しているのが現状だ。

このように顧客の嗜好が変化しているにもかかわらず、五年以上も同じ品質、同じ価格のシュウマイを作り続けているのは明らかに問題だ。顧客のニーズに対応できていない可能性が高いと判断し、高級品への転換を提案したのだ。顧客の期待に応え、価値を提供するためには、変化を受け入れる柔軟性が必要だと考えたのである。

社長は私の提案に容易に賛同しなかった。「高いものは売れない」という先入観が強く、価格を上げることに対して消極的だった。そこで、「他に黒字転換の道があるのか」と尋ねると、「それはない」と答えるのみだった。この姿勢は、現状を変えずに問題を解決しようとする無理な発想に縛られているように感じられた。

他に道がないのなら、高級品への転換を試してみるしかないではないか。やりもしないうちから「売れない」と決めつけるのは間違っている。私は「とにかく一度だけ試してみて、もし売れなければ別の方法を考えよう」と何度も繰り返し説得を続けた。その結果、ついに社長も腹をくくり、「まずはやってみよう」と決心するに至った。

一個15円だったものを20円に引き上げるという私の提案に対し、社長は「それでは高すぎる」と言い、18円という価格で得意先に話を持ち込んだ。その姿に思わず笑ってしまった。どうにも安売りにこだわる社長だ。しかし、こうした社長は珍しいわけではなく、世の中には似たような経営者がいくらでもいるものだ。

ところが、得意先の仕入担当者には完全にはねつけられてしまった。「そんな高い商品は売れるわけがない。売上を伸ばしたいのなら、15円の商品を12円に値下げするべきだ」と言われたのだ。この反応は、価格競争に囚われた従来の発想そのものだったが、それが問題解決にならないことは明白だった。

得意先からの冷たい反応を受けて、「やっぱり高いものは売れない」と弱気になった社長に、私は叱咤した。「何をぼんやりしたことを言っているんだ。うまいシュウマイを食べるのは、得意先の仕入担当者じゃない。実際に召し上がるのはお客様だ。お客様の声を聞かずに、売れるか売れないかなんて分かるわけがないだろう。」顧客目線を忘れているその態度を、徹底的に改める必要があった。

「売れるか売れないかは、小売店の店頭に並べてみて、お客様が買うかどうかを確かめてからの話だ。最初から諦めるなんて論外だ。もう一度得意先に行って、仕入担当者を説得してこい。『迷惑はかけないから、一回だけ試売りさせてくれ』と頭を下げて、承諾を得るまで引き下がるな」と、私も全力で社長を奮い立たせた。ここで動かなければ、何も変わらないことを伝えずにはいられなかった。

そして、ついに一ロットだけ18円のシュウマイを試売することになった。すると、これが予想を大きく超えて、あっという間に完売してしまった。驚いたことに、すぐに得意先から18円のシュウマイの正式な注文が入った。それだけではなかった。試売からわずか1カ月後には、15円のシュウマイの注文は完全に途絶え、すべて18円の商品に置き換わってしまったのだ。この結果が、顧客の真のニーズを如実に物語っていた。

同時に、会社は黒字へと転換した。その理由は、「お客様の要求に応じた」からであって、能率やコスト削減が直接の要因ではない。この実績を踏まえて、私は社長に次の提案をした。「次は30円のシュウマイを作ってみよう」というのだ。しかし、社長は驚いた様子で、「そんな高いものを作れと言われても、売れるわけがありませんよ」と答える。まだ顧客ニーズを捉える本質が完全には理解できていないようだった。そこで、さらなる説明が必要だと感じた。

私は補足説明を加えた。「今、30円のシュウマイを作ったとして、それが売れるか売れないかは、正直なところ私にも分からない。だからこそ、実際に作って売り、お客様に判断してもらう必要がある。こうしなければ、お客様の嗜好がどのあたりにあるのかを知ることはできない。アンケートを取ったところで、本当のところは分からないものだ。実物を店頭に並べて、お客様に直接評価してもらうことこそ、最も確実な方法だ。」

この考え方を伝えることで、顧客の反応を通じて次の戦略を練る重要性を理解してもらおうとした。

これを「市場実験」と呼ぶ。この実験を行うためには、得意先と協力し、いくつかのモデル店を設定してもらい、そこで商品を実際に販売してもらう必要がある。ただし、この場合、モデル店には実験への協力に対する謝礼を支払うことが重要だ。

売れ行きが良ければ、その実績をもとに拡販を進めることは容易になる。一方で、もし売れない場合は、一度撤退して翌年に再び実験を試みることもできるし、特定の店舗に限定して継続的に販売データを収集する方法もある。いずれにせよ、こうした市場実験を通じて、実際の顧客ニーズを正確に掴むことが不可欠だ。

「こうして、お客様の嗜好がいつ30円のシュウマイに移行するかを正確に捉えることが重要だ。そして、この考え方はシュウマイに限らない。他の商品についても同様に、常にお客様の好みを把握し、それに応じた商品展開をしていかなければならない。これこそ、経営者が最も関心を持つべき課題であり、経営の本質と言えるのだ。」

私はこう結論づけ、経営における市場調査と顧客志向の重要性を強調した。

「お客様の要求を正確に知り、それを満たすことができる会社は、必ず発展する。S社の事例は、まさにそのことを教えてくれる好例だ。この考え方は、かつてシアーズ・ローバック社が成功を収めた例とも完全に一致している。顧客志向の徹底こそ、持続的な成長を実現する鍵なのだ。」

こうして、S社の成功から得られる教訓を、経営の普遍的な原則として強調した。

このエピソードは、企業が顧客の要求に応じて変化することで成功を収める典型的な例を示しています。S社は当初、製造効率やコスト削減に集中し、製品の品質や価値向上よりも、いかに安価に生産するかに重点を置いていました。しかし、経営状況の悪化と顧客の嗜好の変化に対し、より高品質で価格帯の高い商品を開発することで、顧客のニーズに応えるという戦略を取り入れました。

このアプローチが成功した理由は、単に価格を引き上げたからではなく、顧客が求める「質の向上」による高級化を実現したからです。S社のシュウマイの例に見られるように、時代の変化とともに消費者の所得が上がり、生活の余裕が増すことで、顧客は生活必需品だけでなく、楽しみや嗜好品としての付加価値ある商品に目を向け始めます。

重要な教訓

  1. 顧客の嗜好を知る:市場調査やアンケートでは捉えきれない細かな顧客のニーズや好みを知るには、実際の商品の反応を見る「市場実験」が効果的です。価格帯を変えた商品の実験的販売を通じて、顧客がどの価格と品質を求めているのかを把握するのが最善策です。
  2. 製品改善は顧客のため:単にコスト削減を優先するのではなく、顧客にとって価値ある製品を提供することが、最終的に企業の利益を向上させます。
  3. 柔軟な対応と試行:新しい商品をすぐに市場に広げるのではなく、まずは少量生産し、モデル店での販売からスタートすることで、低リスクで市場の反応を知ることができます。
  4. 顧客第一主義:経営は顧客の要求に合わせることで成り立つという基本姿勢を忘れないことが重要です。製品が顧客の要求に応えるものであれば、自然と売上も利益も向上していきます。

S社の成功事例は、「企業の成長は顧客の要求を満たすことから始まる」というシンプルながら重要な真実を教えてくれます。

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