差別化の意義とその必要性
簡潔に言えば、これは「目立たせる」ことであり、「目立つ」ことではない。「紅一点」という状況が自然に生じたものであれば、それは差別化とは呼べない。意図的に作り出された場合こそが「差別化」といえる。
市場競争で販売を優位に進めるには、どうしても「目立たせる」ことが欠かせない。そのため、各社は必死になって差別化に全力を注いでいる。
自社の商品やサービス、そして企業イメージなど、あらゆる要素を駆使して「目立たせる」ための戦略を展開する。商品の性能や機能といった基本的な要素を軸に、大きさ、形状、色、包装といった細部まで差別化を図っていく。
一点ものからアソート、セット、シリーズへと展開が広がり、サービスにおいても、値札張りや直納・直送からフェーシングやアフターフォローに至るまで、ますます高度化していく。特売や展示即売会なども、顧客にとってはもはや日常的なものとなっている。
営業時間は延長され、深夜営業や24時間営業、さらには年中無休へと進化していく。サービスも進化し、テレホンサービスからコンピュータを活用したサービスへと広がりを見せている。
宣伝活動においても、新たなメディアの登場に伴い利用手法が次々とエスカレートしていく。これら多様な差別化には、有効なもの、無効なもの、的外れなもの、滑稽なもの、さらには逆効果をもたらすものまで含まれる。しかし、インチキを除けば、顧客に直接的な害を及ぼすケースはほとんど見られない。
顧客視点を欠いた設計の問題
しかし、顧客に実害をもたらす差別化も存在する。それが、独りよがりの設計だ。この点については、詳しくは拙著『社長の姿勢』(産業能率大学刊)に譲るが、ここで一言述べると、自動車、住宅、ホテルの三つが「三大害悪商品」として挙げられる。
それら全てが悪いわけではなく、中には立派なものも存在する。ただし、それらの多くは過去の設計に由来している。一方で、新しい製品には「差別化とはいえ、顧客の要求を優先しなければならない」という基本を忘れた設計が目立つ。その背後には、そうした設計を許容している社長の責任がある。実際、設計技術者だけでなく、そのような設計を認める社長こそが真の害悪の原因と言えるだろう。その結果、実用性の欠けた製品が次々と生み出されている。
乗用車の設計は、なぜこれほどまでに「低く狭く」を追求するのか。不自然なまでに「カッコ」よさにこだわり、人間が快適に乗るための道具であるという本来の目的を完全に見失ってしまっている。デザインの美観ばかりが優先され、実際に使用する人間の利便性や快適さが二の次にされている現状には疑問を感じざるを得ない。
「スカG」「ファミリア」「シティ」といったヒット車の特徴に目を向ければ、天井が高く、乗り降りや車内での居住性が優れている点が挙げられる。設計者はこうした基本的な要素をしっかり考慮すべきだ。自動車の設計思想の中心には、「安全」と「快適」が据えられていなければならない。見た目のデザインや市場の流行を追うだけでは、本来の目的を満たすことはできない。
住宅もまた同じ問題を抱えている。外観や機能性ばかりが強調される状況を「好意的すぎる批判」と見るべきで、実際には「コスト」が最も重要な要素であることを忘れてはならない。デザインや利便性を追求するあまり、顧客が負担できない価格設定になれば、本末転倒だ。コストを無視した住宅設計は、結局のところ、多くの人にとって手の届かないものになってしまう。これでは、住宅の本来の目的を果たすことはできない。
築十年程度でサニタリー設備(水回り)が完全に老朽化してしまう現状を、建築業者はどう捉えているのだろうか。日本人の身体が昔に比べて大きくなっているにもかかわらず、いまだに寸法単位は三尺をメートル換算した90センチが基準として使われている。このような状況では「ゆとり」のある住宅設計など不可能だ。時代の変化に追随しない基準や設計思想が、居住者の快適さを犠牲にしていると言わざるを得ない。
たとえ80平米程度の小住宅でも、「ゆとり」を持たせた設計は十分可能だ。実際、そのような住宅は市場に出れば瞬く間に売れてしまうだろう。しかし、建設会社や設計事務所はその事実を知らないか、知っていてもまったく考慮していない。むしろ、彼らが注力するのは、いたずらに「奇抜さ」を狙った設計ばかりだ。これでは本来の需要に応える住宅が提供されるわけがない。顧客が求めるのは、斬新さではなく、実用性と快適さを兼ね備えた住まいである。
その典型例が最近のホテルだ(店舗も同様だが)。最高裁判所の建物や東京オリンピックで使用された国立屋内総合競技場のような施設は、その最たる例といえる。これらの建物は、いたずらに奇抜さを追求しただけのデザインであり、設計者の自己満足を象徴するものに過ぎない。本来、建築物は利用者の利便性や快適さを最優先に考えるべきだが、その基本を忘れ、見た目のインパクトだけが優先されている。これでは、真に価値ある建築とは呼べないだろう。
建物は本来、人が使うためのものであり、ただ眺めるだけのものではない。しかし、その基本的な考えすら理解されていない現状では、どうしようもないと言わざるを得ない。利用者の視点や実用性を無視してデザインだけを優先する姿勢は、建築本来の目的を大きく見失っている。建物が人間の生活や活動を支えるものである以上、その設計には実用性と利便性が何よりも重視されるべきだ。
ホテルに宿泊したお客様が「もうあんなホテルには二度と泊まりたくない」と呆れ果てている声が、ホテル経営者の耳に届くことはない。いや、そもそもお客様の声を聞く姿勢すら持ち合わせていないのだ。彼らは、自分たちが「偉い人」であると勘違いし、顧客の視点を完全に無視している。このような態度は、誤った差別化の行き着く果てを象徴している。結果として、利用者のニーズに応えられないホテルが増え、業界全体の価値が損なわれている。
誤った差別化の典型的な愚行の一つが、社標・社名・商標などの字体にある。デザイナーが「ここが腕の見せどころ」とばかりに装飾性を過剰に盛り込み、その結果、読みづらいどころか判読に苦しむものが多いのが現状だ。特に、小規模で評判の芳しくない会社ほど、この傾向が顕著である。こうした読みづらい字体の多さは、その会社の経営者、つまり社長の判断力やセンスを映し出すバロメーターと言えるのかもしれない。
流通業者が抱える最大の課題の一つは、商品の差別化だ。ナショナルブランドの商品では他社との差別化がほとんど不可能であるため、業界全体が頭を悩ませている。そこで、多くの流通業者が模索し続けているのがプライベートブランド(PB)の展開である。これは単なる施策ではなく、ある意味で業者の悲願ともいえるものだ。PBを成功させることで、独自性を確立し、他社との差別化を図るという目標が追求されている。
その気持ちは理解できなくもない。しかし、せっかく自社独自のプライベートブランド(PB)商品を売り出すのであれば、それにふさわしい質の高い商品を提供すべきだ。ところが、残念なことに、安売り志向の本性が抜けず、粗悪品を作り出してしまい、結果として顧客に見放されるケースが多い。顧客が求めているのは、ブランド名そのものではなく、その中身であり、価値である。その基本を理解せずに差別化を図ろうとしても、信頼を得ることはできない。
意味のないPB化を進めるくらいなら、良質な商品を積極的に仕入れて販売するほうがはるかに効果的だ。しかし、そうした姿勢を持たない限り、いつまでたっても「安売り屋」の枠を超えることはできない。仮に良質な商品が持ち込まれたとしても、わずかな価格上昇を受け入れる柔軟性がなければ、結局はそのチャンスを逃してしまう。安さだけに固執していては、顧客に信頼されるブランドへの成長は望めない。
安売りだけでは、これからの顧客満足を実現することはできない。価格競争だけに頼るビジネスモデルでは、顧客が求める価値や体験に応えることは不可能だ。ここにこそ、スーパーマーケット業界が直面している最大の危機がある。この現実を経営者はしっかりと認識し、単なる「安さ」ではなく、品質やサービス、体験といった付加価値を提供する方向へ舵を切らなければならない。さもなければ、業界全体の信頼と存在意義を失うことになりかねない。
販促の差別化で最も愚かだった例の一つが、数年前に石油業界が展開した「ワッペン」作戦だ。石油製品そのものは、どの会社のものも品質にほとんど差がないと言っていい。それにもかかわらず、品質やサービスではなく、ワッペンといった付属品に依存した差別化を図る姿勢は、本質を見失っているとしか言えない。こうした手法では、一時的な話題性を生むかもしれないが、顧客の信頼や長期的な価値には結びつかない。
品質に差がないからこそ、何とか販促で差別化を図らなければならないと考え、知恵を絞ったのだろう。しかし、かつてのセクシーアピールのような手法はすでに陳腐化しており、時代遅れだ。そのため、業界として新たな販促手法を模索しようとした結果が「ワッペン作戦」だったのかもしれない。しかし、それが顧客の心に響く効果的な差別化となったかは、疑わしいと言わざるを得ない。結局、本質を捉えた差別化がなければ、どんなに新しいアイデアでも持続的な成功にはつながらない。
キャラクター風のワッペンをガソリンスタンドの窓にベタベタ貼っているのを見て笑ってしまった。こんなもので販促効果を期待する石油会社の幹部には、精神鑑定が必要かもしれない。
汚れた店舗をまずキレイに掃除するほうが先だ、と言いたい。そもそも、店頭に「Ss」なんて書いている時点で感覚を疑う。
「SS」とはサービスステーションの略だが、業界内では通じてもお客様には何のことか分からない。ガソリンスタンドは本来お客様のためにあるものであり、石油会社の自己満足のためではない。この基本的な事実を理解していないのが問題だ。
ガソリンスタンドのワッペンが姿を消したかと思えば、今度は家電小売店のガラス窓にワッペンが現れた。業界の選手交代といったところだが、これも長続きせず、いずれ消えるのは目に見えている。
大阪の「北新地」を昼間に歩いたとき、並ぶビルが競うように外観を凝りに凝っているのを見て呆然とした。新地の営業は夜だけで、外観などほとんど見えない。そもそも、外観で客を呼べると本気で思っているのだろうか。それよりも、ホステスの訓練に力を入れるほうがはるかに重要だ。
「差別化」が市場戦略を有利に進める手段だと思い込んでいると見落としがちだが、それとは全く逆の「反差別化」という作戦も存在する。これは、差別化をあえて追求しない戦略であり、場合によっては同じくらい効果的である。
反差別化とは、「差別を意識させない」戦略を指す。この作戦は主に「弱者」とされる企業が採用するものであり、自らの非力さを隠しつつ、強力な競合企業に対抗するための模倣戦略といえる。競争から目立たずに市場に溶け込むことで、独自の生存圏を確保しようとするのがその狙いだ。
商品を似せることで自らを強く見せようとするのが、反差別化の狙いだ。この作戦の典型例が、小さな会社が著名な大企業と紛らわしい社名を付けるケースだ。会社自体は別物であるにもかかわらず、あたかもその関連企業であるかのような印象を与えることを目的としている。このような手法は、一見すると巧妙だが、誤解を招きやすいリスクも伴う。
以心伝心で信長の意を汲み取った藤吉郎が、この大役を見事に果たした。そして、その急報を受けた信長が電光石火の作戦を展開し、義元を討ち取ることに成功したのである。世間では、信長が縦横無尽の機略で「寡よく衆を制した」と称されているが、実際にはそうではない。
さらに悪質な手法として「一字違い」がある。真似をした側は利益を得る一方で、真似された側は損害を被る結果となる。このような事態を防ぐには、自社の商標や商品に類似する名前やデザインを事前に登録しておくことが有効だ。これによって、模倣を抑制し、自社のブランドを守ることができる。
最も一般的な手法は、強い商品の形状、色彩、包装までを「そっくりさん」にして模倣することだ。この方法は、小さな会社が大手の商品を真似る場合に限らず、大手同士でさえ行われることがある。模倣による混乱を招きやすいこの手法は、消費者の混同を狙った戦略の一環と言えるが、競争の健全性を損なうリスクも高い。
大手企業であっても、特定の商品分野で小さな会社に太刀打ちできない場合、臆面もなくその商品の「そっくりさん」を発売することがある。「今のうちに叩いておかないと将来後悔する」という危機感と、自らのプライドが絡み合い、こうした行動を取らせるのだろう。この姿勢は競争の厳しさを物語るが、一方で市場の健全性を揺るがす行為とも言える。
すべての模倣品は、必ず本物より安い価格で売り出される。もし大手企業がこれを仕掛けてくると、小規模な本家企業は大混乱に陥り、慌てふためくことが少なくない。それも無理はない。資金力や流通網で圧倒的に優位な大手に価格競争を仕掛けられれば、小さな企業が対抗するのは極めて難しい。
しかし、ほとんどの場合、模倣品はやはり模倣品に過ぎず、最終的には失敗に終わるケースが多い。顧客はいつまでも偽物に騙されるわけではなく、いずれその本質を見抜く。価格が安いだけでは、長期的な信頼や満足を得ることはできず、市場競争に勝つことは難しいのだ。
差別化と反差別化についての私の感想は、これらの戦略が社長の正しい姿勢、すなわち「お客様の市場占有率を高めるため」に基づいて生まれたものはごくわずかだということだ。むしろ、多くの場合、それらはお客様のためではなく、自社の利益や都合を優先するためのものに過ぎない。こうした自己中心的な発想では、真の顧客満足や市場での信頼を得ることは難しいだろう。
売上を伸ばそうという意図自体は結構なことだが、そのために奇をてらい、ひねくり回し、さらには恥も外聞もなく他社を真似るような手法が多すぎる。どれだけ工夫したふりをしても、その実態はごまかしに過ぎない。顧客はそうした本質を見抜くものであり、結果的に信頼を失うだけだ。
どれだけ工夫を凝らしたとしても、所詮は偽物であり、本物には到底かなわない。お客様は決して馬鹿ではない。最終的に市場で勝つのは、お客様の要求をよりよく満たす本物の商品だけである。それが真の競争の結果であり、信頼と品質が決め手となる。
差別化の本質と成功への道筋
差別化を図るなら、まず競合商品を徹底的に研究し、その欠点や弱点を見つけ出すことが重要だ。そして、それをカバーするだけでなく、さらにお客様の要求をより満たす商品を開発することが本筋である。包装やネーミングといった付加要素も大切だが、それらはあくまで補完的なものであり、主体となる商品自体が優れていなければ全く意味をなさない。優れた商品こそが、差別化の真の基盤である。
高級食品店の「紀ノ国屋」のような店では、包装など全く重視していない。ある会社が派手な包装の商品を持ち込んだところ、「うちはこんなものに用はない。スーパーに持っていけ」と一言で突き返されたという。このエピソードは、品質や中身こそが最も重要であり、見た目だけでは通用しないという姿勢を象徴している。
「我が社は中身でお客様にサービスする。包装などどうでもいい」というのが紀ノ国屋の姿勢だ。包装に注ぐ努力があるなら、それを中身の品質向上に使えというのが、同店の精神なのである。この考えには、ただただ頭が下がる。本当の差別化とは、この紀ノ国屋の精神そのものだ。差別化とは単なる見た目や表面的な工夫ではなく、顧客へのサービス競争であるという認識こそ、差別化で勝利する道だと、私は自信を持って断言する。
「差別化」とは、単に目立つのではなく、「意図的に目立たせる」ことに重点がある。自然な成り行きで他と違う存在になるのではなく、戦略的に差別化を図り、企業や商品の特徴を意識的に強調して、競合との違いを明確にすることが求められる。
差別化の具体例と課題
企業は、商品やサービス、企業のイメージに至るまで、顧客に「選ばれる理由」を作るために差別化を進めている。しかし、その差別化が顧客のニーズや利便性からかけ離れている場合、「自己満足に過ぎない差別化」や「逆効果になる差別化」となり、顧客に不満や不便を強いることもある。
たとえば、乗用車や住宅、ホテルなどの設計において、単に「見た目が目立つ」「奇抜」という理由だけで差別化を図ろうとすると、ユーザーの安全性や快適さが無視され、使い勝手に不満を抱く顧客も出てくる。このように、顧客のニーズから乖離した差別化は、企業やブランドイメージを損なう結果につながりかねない。
良質な差別化とその効果
真の差別化は、顧客の視点に立ち、競合製品を研究してその弱点や欠点を補うことで実現される。たとえば、高級食品店「紀ノ国屋」のように、包装や見た目よりも商品の質そのものを重視し、顧客に本物の価値を提供する姿勢がある。このような差別化は、顧客に「ここでしか手に入らない本物」という価値を与え、長期的な信頼を得る。
反差別化の戦略
一方、競争の激しい市場では「反差別化」、つまり差別を意識させないことであえて競合商品と似せる戦略も存在する。この手法は、小さな企業が大企業に対抗するために、あえてその商品の特徴や見た目を模倣して、紛らわしい類似性を持たせるという「イミテーション作戦」によって行われる。
差別化成功のための基本姿勢
差別化を成功させるには、顧客のニーズを軸に据えることが重要である。見た目や装飾、表面的な模倣だけで顧客を引きつけることは難しい。顧客が求める価値に応え、商品自体の質を高めることこそが、差別化を競争優位に結びつける道である。
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