北陸のある県に拠点を置くオフィス用什器の納入業者F社は、北陸三県に広がる強力な販路を展開し、市場占有率は30%を超えていた。
F社はこの実績を土台に東京への進出を果たした。日本最大の市場であり、激戦地ともいえる東京への挑戦だけに、選りすぐりの精鋭たちが集められた。しかし、東京で容易に成果を上げることはできなかった。それでも懸命な努力を重ねた結果、徐々に売上が上向き始めた。
しかし、その実績にはおそらく現実とは大きな隔たりがあった。売上の伸びは東京やその周辺地域だけにとどまらず、長野県にまで広がっていたのだ。
一方で、地元である北陸三県の売上は、東京進出直後から下降し始めた。営業活動が大幅に縮小した結果であり、第三者の視点から見れば当然の成り行きだろう。しかし、F社にとってはこれが大きな問題だった。苦労して確立した東京営業所の売上は、地元での売上減少によって相殺される形となってしまったのだ。
これでは何のための東京進出だったのか分からなくなってしまった。地元だけに集中していればよかったと後悔したところで、もはや手遅れだった。
戦いは非情だ。市場から少しでも手を引けば、すぐに売上減少という形で跳ね返ってくる。それを見越して計算できなかったことが、F社の最大の誤りだった。
ここに市場戦略の難しさがある。新市場への進出においては、既存市場での占有率を維持することが絶対的な前提条件となる。新市場での拡大が既存市場での占有率低下を引き起こすようでは、その進出は全く意味を成さないからだ。
もし占有率を落としてもよいのなら、最初から新市場への進出など選ばないほうが賢明だろう。ましてや、それが自社の基盤となる地元であり、かけがえのない地域であるならなおさらだ。
市場原理を理解せず、ただ欲望に駆られ、自らの実力を冷静に見極めることなく、戦略もなしに戦いを挑む――その結果がこれだ。愚行以外の何ものでもないと言わざるを得ない。
多くの社長が「企業戦争」や「販売競争」といった言葉を口にするものの、「敵はどこにいるのか」「敵の状況はどうなっているのか」「それに対してどう戦うのか」といった具体的な問いに直面すると、ほとんど実質的な検討も具体的な計画も持ち合わせていないのが現状だ。
もし本当にその意識があるのなら、常に情報を収集し、それを徹底的に分析し、敵の戦力を把握した上で、自社の状況と比較しながら作戦計画を立てるはずだ。それこそが真の競争を勝ち抜くための基本である。
そこには可能性だけでなく、危険も潜んでいることを理解すべきだ。その危険がどのようなものかを見極め、それを避けるための方法を考えるのは当然のことだ。リスクを見過ごしたまま突き進むのは無謀としか言いようがない。
作戦を立てる段階になっても、過去の成果に頼り切り、新市場への進出もかつての成功体験と同じようにうまくいくと信じ込み、可能性ばかりに目を向けてしまう。危険に備えることを忘れる経営者がいかに多いことか。
未知の戦場には、未知の危険が潜んでいる。さらに、新たな作戦を展開することで、自社に新たなリスクが発生する可能性もあることを認識しなければならない。これらの危険を事前に回避するための対策を講じて初めて、新たな作戦は現実的なものとなる。その重要性を忘れてはならない。
社長の最も重要な関心事の一つは、常に「危険の回避」にあるべきだ。用意周到とは、事前に潜在的な危険を察知して回避し、新たな作戦によって生じる可能性のあるリスクを予測し、その対策をあらかじめ計画に組み込むことを意味する。それが本当の準備というものだ。
ただ闇雲に危険を恐れて消極的になるのは本末転倒だ。そんな姿勢では、会社を衰退させるだけだ。「積極経営」こそが発展の鍵となる。しかし、その積極性は、あくまでも用意周到な準備の上に成り立ったものでなければならない。計画性を伴わない積極性は、ただの無謀に過ぎない。
くどいようだが、「戦いは自分一人で行うものではなく、必ず敵が存在する」という、極めて当たり前の認識を持つことの重要性を強調したい。この基本的な事実をわざわざ指摘しなければならないほど、企業経営における「戦い」に関する研究が不足しているどころか、ほとんど皆無に近い状況が現実なのである。それが現代の多くの企業に見られる致命的な弱点の一つだ。
テリトリー拡大の戦略
- 既存市場の維持を前提に進出を検討
新たな市場に進出する場合、まず重要なのは「既存のテリトリーの占有率を落とさない」ことだ。F社の例のように、既存市場の営業活動を縮小した結果、地元の売上げが落ち、進出先での利益が相殺されると、進出の意義がなくなってしまう。 - 情報収集と現状分析の徹底
新市場へ進出する前に、現地の市場情報、競合の状況、自社の比較優位性などを徹底的に調査し、分析することが必須だ。未知の市場には未知のリスクが潜んでいるため、進出先の詳細な情報を収集し、分析を基に戦略を組み立てる必要がある。 - 危険回避のための綿密な計画
危険を避けるためには、用意周到な計画が必要だ。積極的な市場拡大の姿勢が大切だが、それは綿密なリスク管理があって初めて可能になる。過去の成功を過信して「この市場でもうまくいくだろう」と安易に考えるのではなく、進出には新たなリスクが伴うことを認識し、リスク管理を組み込んだ戦略を作成する。 - 自社のリソース配分を考慮した戦略的拡大
進出を急ぎすぎて、既存の営業拠点に必要なリソースを割かないことが重要だ。経営者は、新たな市場進出が現有のテリトリーにどのような影響を与えるかを常に考慮し、進出のタイミングや規模を慎重に決めるべきだ。 - 「敵」の存在を意識した戦略立案
戦いには必ず競合が存在することを意識するのが基本である。企業戦争においても、どこに競合が存在し、どのようにして自社のシェアを脅かしてくるのかを念頭に置き、競合を意識した戦略を立てることが大切だ。
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